30.5.1 食卓に肉がないので文句を言ったら夫に見せられたテレビ番組の話。
1、いのちのやりとりの現場
NHKでは、ナレーションのないノンフィクション番組をたまに放送するみたい。
NHK ノーナレ 「いのちのやり取りの現場」 → https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/92257/2257018/index.html
京都の山で、獣害とされるイノシシやシカを罠で仕掛けていただくというドキュメント。
けものが通る道は一定の法則があるらしく、罠仕掛けではけものの動向をしっかりリサーチしなければならぬ。「こういう枝があると枝の手前に足を下すので。で、ここに小枝を置いておくと、この場所へ足を下すんです。ここへ罠をしかける」
ベタな方法だけども基本的なことって大事だよね。
罠にかかったイノシシは、人間の姿を見ると渾身の力で威嚇する。もし、罠が外れたら、狩人は大けがする・・・と思いながらハラハラ見ていた。
「可哀想に、痛いだろう。早くやろう」という狩人の独白の意味が、この時は分からなかった。
棒でポカリとイノシシを叩いて気絶させる。
イノシシが気絶している内に、とどめを刺す。命が消えていくまで、テレビカメラがまわる。イノシシなのか人間なのか、息遣いと風の音が聞こえる。
私よりも重たいであろうイノシシを、ひきづっていった。
なんて、非効率な作業だろう。それでも、こだわっているのは命に向き合うため、ということだった。
次に、テレビカメラは獣害とされ捕獲されたイノシシやシカの冷凍物を産業廃棄物として焼却されていくのを映していた。
再びテレビカメラは狩人の小屋を映していた。
命を奪うことには慣れなくて、いつも葛藤がある。目を見て仕留めるのが相手への誠意(感謝)の表し方と考えているようだった。狩人の子どもたちがパパの捕獲したイノシシを調理し、食べる。
・・・という番組。
当たり前に食べている食べ物は、命なんだよなぁ。
2、獣害と駆除と教育
獣害があるから、誰も食べなくても駆除はしなくてはならぬよなぁ。
以前、伊豆大島でキョンやリスの農作物被害という問題を知った。
獣害による駆除作業をどう考えればよいのか、どう子供に教育するのがいいのかなぁ。
命は大切にしましょう、でも農作物を荒らす動物は殺しましょう、という教育はしたくない、とのことであった。
そうだよなぁ。そういう、迷いを子供に託すという教育もありだよね。
3、活〆の魚の話
築地市場で働いていた頃、活け場という生きた魚を取り扱う部署があり。ここでは毎日生きた魚が届いていた。活〆(いけじめ)をしていたよ。
活〆の現場では、まな板の上でビチビチと抵抗する魚の頭を棒でぽかりと叩き気絶させ、その隙に頭の上あたりに包丁を入れて血合いを抜くという作業が行われていた。
ベテランがやってたね。活け場の人たちは、私ら普通の魚担当と違って血のニオイがしていた。魚と血と酒のニオイ。
活〆の場を最初見た時はびっくりしたけど、段々慣れてきてショックも受けなくなったな。
見学してると、「あぶねー、邪魔だからあっちいけ」と怒られたこともあった。血合いを抜かれ最後の動きを見せる魚を見て「おいしそう」とは思わなかったかな・・・。
そうだ、私は広義の意味で命を扱う仕事をしていたんだなあ。
4、感想
一緒に番組を見ていて、
夫は、「いのししのように、渾身の力で生きるんだということを忘れていた」と言い、
妻は、「イノシシ肉をジビエ肉としてもっと売り出すことが出来れば効率的な経済活性」と言う・・・。
ジビエ肉ってよく加熱する方がいいみたいよ。
・・・ってか、なんなの、妻の世俗感!
5、けもの道 考
ま、自営業である私もひとり、けもの道を彷徨うイノシシみたいなものよ。害はないけど。(多分)
道なき道を歩いている感じがする・・・。豊かな泉に辿り着くのか、行き止まりなのか、近道なのか遠回りなのか。
罠に気を付けながら必死に歩かないと、ね。