30.10.20 うちの近所の生田緑地にある日本民家園のイベントで、富山県南砺市の井波彫刻師さんが来てくれました~。
自分の事業がうまくいくかどうかは、売り物が魅力的であるだけでは不十分。ある程度の市場がないとならぬ。市場が拡大するのは、人の「欲しい!」が必要で、人気があるとスキルも上がるって話。
・日本民家園で井波彫刻
去年も行ってきた、多摩区民祭。本日は日本民家園の入園が無料です!ま、私は年間フリーパスを持ってるから同じだけど。
15時からの「300円でお茶とお菓子付きで現地の方のお話を聞こうイベント」に今年も参加。去年は、五箇山の伝承話(おばあちゃんが孫に聞かせるような昔話)を聞いたよ。
今年は、時間ごとに違う話みたいだったけれど、15時の回は井波彫刻のお話し、です。
囲炉裏もある、実際の古民家の中で、ギシギシいう木の床の上に薄い座布団を敷き。狭い中でお話を聞く。
南砺観光協会の方も彫刻師(マエカワさん?)も若くて、もしかすると30代かしら??
スクリーンに画面を映し出すという斬新スタイル。古民家なのにですか?古民家なのにですか?
スクリーンに映し出されたのは、井波彫刻のビデオ。
井波彫刻は、平成30年5月に、日本遺産に登録されたんだって~。へー、と聞いていたが、ビデオを見てお話を聞いていくと、「へー」が「へー!」になり「へへーっ!!」になりました。かっこよい。
・瑞泉寺と井波彫刻
井波彫刻は、瑞泉寺というお寺のいわば城下町にあります。
瑞泉寺というお寺の名前は、私には馴染みがなく。有名なお寺なのかしらん?
むかしむかし。南北朝時代ころ。地元の偉い人の一人が、日本と外国との通訳的なものを行ったら、幕府が喜んでくれてお寺を作っていいよと許可をくれたので出来たのが瑞泉寺らしい。(私のニュアンス。ほんとかな?)
で、せっかくお寺が出来るのであるから、と彫刻を頑張った。その後、戦国時代などでお寺は何度も燃えた。そのたびに彫刻師が頑張って、瑞泉寺近辺で井波彫刻技術が高まって行ったのでした!
・俺も欲しい!が市場拡大へ
当時(かな?)お寺を見に来た一般人が、「北陸の冬は長いから、家を飾りたい。俺んちにも欄間を作りたい」と井波彫刻師に依頼したらしい。(そういえば、金沢でもそのような話を聞いたわ)
その一般人の自宅に遊びに来た友達が、「かっこいー!俺んちにもそれ欲しい」とブームになったため、井波彫刻は経済環境がよく、技術も向上したらしい。
たった3センチの奥行きの木が、すごーく立体的な龍や梅の木などに変身するだなんて、本当にすごいよ。贅沢だなって思う。宗教的な意味合いもあるんだろうけど。
隣の部屋との隙間が空いちゃうから、寒いんじゃないか、とか隣室の物音が気になるのでは、とか余計なことを思いながら聞く笑。
現在の井波彫刻は、徒弟制度などを親方衆が頑張って維持されている(らしい)。
(関連過去記事)徒弟制度 →https://mina-office.com/2018/10/20/toteiseido/
しかし、市場のニーズがなければ仕事がなくなり、彫刻師は減るよね。
歴史保存のために助成金を出すのは簡単だけど、タダ飯食わすと腕が落ちる。観光客相手の仕事ばかりだと、技術継承という観点から物足りない。原材料である木材の確保も大事よね。
今回、日本遺産になって、広く注目されるといいよね~。実際、名古屋城など、歴史的建造物ではよく見かけるから、重要な業種だよね。
これから、日本家屋が更に見直されれば、仕事も増えましょうから、「俺も欲しい!」が起こって都会でも流行るといいね。
冷暖房効率が落ちるから、地域限定かもしれませぬ。(結局ランニングコストを気にする私)
・・・しかし、市場拡大って人の気持ちが作るんだねぇ。
・一向一揆
今回のお話の中に、「越中一向一揆があったため」というキーワードがあり。うーん?一向一揆ってなんだっけ?
一揆って農民などが武士同士の陣地合戦はやめろ、というような抵抗運動のことらしい。支配する側に対して、支配される側が武力行使も含めて意思表示することをさすんだって。ウィキペディアにはそう書いてあった。
で、一向一揆は一揆の僧兵バージョン。
僧兵といって、昔はお坊さんでも武器を持って戦ったんだそうな。で、僧兵が集まって意思表示をすることを一向一揆と呼ぶらしい(語源は一向宗の一揆らしいです)。
テロみたいに聞こえるけど、そういう訳ではないんだって。フランス革命的な活動に見えるけど、それとも違うらしい。
一揆って現代に置き換えると、生徒が教師に「先生、それは間違っています。私はこうすべきだと考えます」と言うことなのでしょうか。
なんの支配下にない私は、あんまりぴんとこないけど、大きな組織にいる人にとっては、上司に意見することなど非常識なことなのでしょうなぁ。(他人事)