2025.10.23(11/4作成) 福島県の郡山市歴史情報博物館に行ってきました~。旅行のついでに時間があるから寄るつもりが、つい90分もいました。
昭和21年当時の農地解放時の資料を見れてよかった!
郡山市歴史情報博物館、常設展は200円。企画展は常設展込みで500円です。
今回の企画展は、2025/10/11~2025/11/24の期間。「記録から読み解く日本と郡山の歴史~時代を証言するたからもの~」 です。
クリックできる目次
第1章幕末から明治
幕末の開国から廃藩置県に至る様々な変化に関する資料が紹介されてました。
戊辰戦争
大政奉還を行い、慶応4年1月の鳥羽伏見の戦いをきっかけに戊辰戦争が始まった頃、現在の福島県地域は、会津藩、福島藩、二本松藩を含む13の藩が存在し、多くが奥羽越列藩同盟に加わって新政府軍と戦い、翌年の函館戦争まで続き、新政府軍の勝利に終わりました(福島県は負けた)
廃藩置県、今の福島県になるまで
明治2年、幕府領となっていた伊達郡、信夫郡を管轄する福島県が設置されました。
明治4年11月に若松県、二本松県、磐前県(いわさきけん)の3つの県が統合され、
明治9年に福島県、若松県、磐前県が合併され、現在の福島県とほぼ同じ圏域となり、
最終的に明治19年に東蒲原軍が新潟県に移管され、現在の福島県と同じ県域になりました、とあります。
第2章 近代国家の形成と地方
憲法の制定、議会開設、安積疏水、鉄道の整備など、地域における様々な変化の資料が紹介されてました。
異議は武力から言論へ
廃藩置県の前後、秩禄処分(武士の特権なくなる)の対応策で安積平野の開拓などありました。
明治7年の佐賀の乱、明治10年の西南戦争などが発生、政府が軍を派遣して鎮圧しました。政府に反対する人々は、武力による反乱ではなく、言論による政治活動によって政府に要求を伝えていきます。
自由民権運動から議会開設の約束、大日本帝国憲法の発布に至ります。
一方、各地でも地方三新法の公布(明治11年)や市制町村性の公布(明治21年、翌年施行)など地方制度の整備や、鉄道の敷設、経済インフラの整備が進んでいきました。
明治12年には、福島県で自由民権運動の盛り上がりと当時の三島県令の三方道路の強引な計画への不満から、福島事件が発生しました、とあります。
福島事件?
県議会を無視した知事の独裁で決めた三島道路の難工事に人夫や人夫代金を強引に要求し、応じなかった農民の財産を差し押さえ公売処分、農民や民権家運動の自由党が逮捕された事件、だそうなのです。
( ゚Д゚) ひぇ~。
第3章 大正、昭和戦前期の日本と郡山
明治から大正時代にかけて郡山の人口は増加。発展をささえたのは安積疏水をはじめとする猪苗代湖からの水利と、交通網の整備だったそう。
大正3年(1914)第一次世界大戦の勃発により郡山は好景気に。
好景気の一方、物価上昇。大正7年には米価高騰でコメ騒動が起こり、全国に広がりました。米騒動は政府への不満・批判につながり、普通選挙運動が広がりました。
大正時代の郡山の様子や、男子普通選挙に関する資料と、昭和の戦争に関する資料が紹介されてました。
第4章 戦後のあゆみ
昭和20年(1945)のポツダム宣言の受託を告げる玉音放送が行われ、日本は降伏しました。
日本国憲法の公布、女性参政権、農地解放による自作農の増加などが行われました。
昭和26年にサンフランシスコ平和条約が締結され、連合軍による日本の占領は終わりました。
戦後復興や昭和25年の朝鮮戦争を背景に日本は高度成長。昭和35年に国民所得倍増計画が閣議決定、昭和30年前後に昭和の大合併(自治体の統廃合)。
昭和20~30年代を中心に、日本と郡山の戦後の歩みに関する資料が紹介されていました。
農地解放の実施!
戦前までの大地主制度を改め、自作農を中心とする民主的な農村社会の形成を促進するために、昭和21年10月21日、自作農創設特別措置法が公布され、同年12月29日に施行されました。
不在地主の小作地全部と、在村地主の一定基準を超える小作地は、政府による強制買い上げののち小作人へ優先的に低価格で売り渡されることになりました。
本業務には青年男女によって公選された市町村農地委員会(地主3・自作2・小作5)が携わりました。
こうした農地改革の結果、自作農の大幅な増加につながりました。
・・・の展示には、自作農創設特別措置法の公布が閣議決定された際の文書がありました!字が美しい!
紙芝居が展示されていて、権利関係、、、というか、日本という国がガラッと変わったことが分かります。

昭和21年の「財産税」により物納された農地が含まれていました。
・映画と公文書
企画展には、「映画と公文書」コーナーがあり、映画ジゴマと検閲の情報がありました。
別記事に書きます~。
	
