郡山のかつての鉱山 高玉金山

2025.11.6作成 福島県の郡山にも金属鉱山がありました。

鉱山考!福島県の高玉金山について座学の記録です。

鉱山跡地の観光施設、ゴールドマイン高玉が2012年まであり、磐梯熱海駅から行けたみたいです。もうないけど。

高玉鉱山は1573年

高玉金山(たかたまきんざん)は、1573年に会津初の領主芦名家17代によって拓かれた、とあります。(おのでら的には、第2次ゴールドラッシュ期です。)

インターネット検索したら出て来ました。アーカイブ記事。https://web.archive.org/web/20090629031933/http://takatama.ftw.jp/index.html

高玉鉱山は、蒲生氏郷時代(1590~1598年)に更に開発されたのではないか、と推察されてます。

1696年に二本松寺院物語に二本松藩高玉金山奉行の中村与葱左衛門(1684年没)の記述がありましたが、その後に技術的限界があったのか、鉱山の記述がないとのこと。

二本松寺院物語は国会図書館にて

ちなみに、二本松寺院物語は、国会図書館のデジタルアーカイブで見れました。(大正時代バージョン)拡大するけど読みにくい・・・。高玉金山奉行を見つけたいのと、税制はつまんないけど最後まで読んでおきたいな~。

飛び飛びで読んだ「税制」には、新田(新しく開墾した田、という意味かと思います)は金納がありました。

二本松藩の「林政」も書いてあり、二本松藩は独特で、土地は個人所有で立木は藩のもの、という読み方でいいのかな?う~ん?

高玉金山に話を戻します。

高玉鉱山 明治以降

下記の資料(1967年12月??)には、蒲生氏郷の転封後は中絶し、永らく廃山していたとあります。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/shigentosozai1953/83/956/83_956_1621/_pdf

明治19年に長崎県人の松浦さんが旧鉱さく製錬・探採鉱を開始、明治23年に肥田さんが継承して色々やってみたようですが、明治41年以降は日立鉱山製錬所に売鉱したとあります。

大正7年(1918年)に久原鉱業が買収しその後日本鉱業株式会社に移り、とあります。昭和18年金山整備令で製錬操業を休止、昭和20年に再開、昭和30年に鉱況の好転・・・・など記載があります。

私が所有している日立鉱山史の本にも、載っているかも?見ておこ。

寄り道:日立鉱山 日産自動車

※日立鉱山史の235P、394Pに名前が載ってるの確認しました。

久原鉱業所は久原鉱業株式会社→日本産業株式会社(持ち株会社)→(分社化して)日本鉱業株式会社(昭和4年)になりました。合併や分離いろいろありまして、今はENEOS関連、JX日鉱でいいのかな?

鮎川義介さんは、久原さんの義兄弟(久原さん妻の姉の配偶者が鮎川義介さん)です。昭和6年に日産自動車の前身を傘下、持ち株会社など経緯ありまして昭和9年に日産自動車株式会社に商号変更。

高玉鉱山 跡地ゴールドマイン高玉

話を高玉鉱山への戻しまして、

観光客のブログによると、製錬所が火災で燃えたことがあるようで、日立鉱山に金を売っていたことがあるとか。

高玉鉱山は1976年に閉山、

1996年にゴールドマイン高玉という、坑道・トロッコ・砂金とり・温泉施設を併設した観光施設ができましたが、

2011年の東日本大震災で(施設?)被災し、2012年に閉園したそうです。

採鉱はシュリンケージ法(尾去沢鉱山で見た!上向きに採掘する手法)、東日本大震災でも坑道は崩れなかったというブログレポがありました。( ゚Д゚)

高玉鉱山、硬い地盤だということですね~。

以上、知ったことを書き留めておきましたっ

投稿者: 小野寺 美奈

税理士。農業経営アドバイザー試験合格者。認定経営革新等支援機関。 川崎市・東京多摩地方を中心にした、地域密着・現場主義。 税務の記事はご自身で税法を確認されるか個別に有料相談に来てくださいね。