2026.3.8(作成3.16) 川崎駅の東海道かわさき宿交流館で、文芸と経済について勉強してきました~♪
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・田中丘隅における文芸と経済
川崎市公文書館が主催、慶應義塾大学の名誉教授の小室正紀(こむろ まさみち)先生が講師です。
「文芸は経済にも影響する」という話です、というパンフレットが多摩図書館にありまして。行ってきました!無料!
川崎宿本陣役で名主でもあった田中丘隅(たなか きゅうぐ)は、
経済は市場とそこで生きる農民や商人に任せた方がよいという大変に新しい考えを書き残した人です。
とありまして。
田中丘隅(田中丘愚、と書かれることもあるそうです)、知らなかった!
小室正紀先生の著書『草芥の経済思想 江戸時代における市場 ・「道」・権利 』, 御茶の水書房, 1999 を土台に今回の講演のために作ってくれたレジュメが配布されました。
本は、売ってなかった!
・田中丘隅の人物像
田中丘隅は、1662-1729、寛文2-享保14。水戸黄門や赤穂浪士事件は田中丘隅が40歳前後。そんな時代背景に活躍した方です。
田中丘隅は、現在で指すと東京都あきるの市の生まれだそうです。
田中丘隅は、農政・民政の書「民間省要」(みんかん せいよう)の著書だそうです。村政、農業政策のことが書かれている。
へー。
田中丘隅は、農家の次男で、実家が借金を残して倒産(農家なのに?)、借金返済のために働き、その後独立して色んな仕事・・・・怪しげな仕事も含めて色々していた方だそうです。
その後、能力をかわれたのでしょうか、川崎宿本陣の田中兵庫家の養子に。川崎宿四カ村の再建を指導。
半ば隠居して「民間省要」を脱稿、将軍に献上され、バズりか?治水工事の実績をかわれ、川の維持管理の幕府の役人へと出世!川崎から(多摩川)上流にかけての代官職に就いたそうです。
(多摩川って小田原攻めの頃は流域が違った?備忘:インターネット検索したらヒットした多摩川流域歴史セミナー000712086.pdf)
・前半は当時の農業、経済環境
講演の前半は、当時の農業と貨幣経済、農地の売買など、経済の話がメインでした。
市場経済が良い、土地の自由売買を肯定(江戸はゆるく肯定的だったようですが)、貨幣流通量は多い方がいい、時代の変化を前向きに捉える、
このようなレジュメのキーワードでした。
いや~!おもしろかった!知らないことばっかり。
商人的な視点、儲けたい気持ちを重視
私は、田中丘隅は商売人の視点が強いなと思いました。現在では当たり前だけど、当時、かなり変わった考えだったようです。民間人としてのポリシーが強かったとか。
講演の中で、役人が代金を決めちゃうから安くてみんな嫌がってやらない、大至急だから2倍払うヨ!と言ったらすぐに支度が間に合ったエピソードは、人々の心が分かりやすかったなぁ。
今と一緒だね。
貨幣経済が農村に浸透
私は、”貨幣経済が農村にまで浸透してきてしまい、それが困った”という話を町田の民権資料館だった気がするけど見まして、今回も農村の貨幣経済について話がありました。
私の認識では、肥料は入会地というのかなぁ、地域の共同の箇所で枯葉を集めておいてみんなで使っていたみたいでした。隣の村同士で入会地でケンカしてる資料をあちこちで見ます。愛知県の半田でも見た!
明治時代も入会地で鉱業とモメてるから、江戸時代から明治時代になっても一部の肥料は自給自足調達制度は残っていたんだと思います。
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講演では、丘隅の時代、肥料を貨幣で買わなければならなくなり(水田生産量の1/3は肥料)、譜代の奉公人は雇用奉公人になった、とありまして、家族同然の衣食住を共にしていた(生まれながらの家来?みたいな?)人達にも給料を払わなければならなくなったとか。
年々の価格変動があった、ともレジュメに書いてある。
丘隅は、貨幣の流通量を増やせば、飢饉になっても誰も飢え死にしない、と考えていたようです。
当時、徳川家宣(1709)以来、貨幣の流通量を質実剛健を重視し、物価対策で貨幣の流通量を半分に減らしていたそうです。
30年単位で社会は変わっていくんだ、と。これを豊かさか、贅沢と考えるかはそれぞれだけど、丘隅は豊かさ(良いこと)と考えていたそうなのです。
そうなのか~。おもしろい!
貨幣と鉱山を思い出し(復習)
私は貨幣の流通について、貨幣博物館で勉強してきたことを思い出すけれど、
確か1600年頃に朝鮮半島から製錬技術が伝わり、第2次鉱山ブームが到来。国内で作れるようになった通貨が流通、一方、徐々に鉱山の鉱脈が枯渇してきて不足気味、閉山もチラホラ。(このあと、明治維新前後に技術開発で第3次鉱山ブームが来る!)
外国との取引で鉱物が海外流出、国内利用の鉱物が不足。1700年から国内で災害多発、江戸幕府の贅沢もあり財政赤字。国内市場は貨幣経済が浸透、貨幣流通量が足りなくなりインフレ傾向、貨幣の鉱物量を下げちゃえと通貨制度の混乱期の前後だったようでした。
・後半は文芸の話
休憩の後、講演の後半は文芸の話です。
萩生徂徠(はぎゅうそらい)や成島道筑(なるしまどうちく)、という名前が出て来ました。
朱子学は、欲望・私欲(人情)を悪?として克服しようという考えだった一方、徂徠学は人情を肯定的に捉え、制度により人情(欲望・私欲)をコントロールしようとしたようです。
徂徠は、貨幣経済が進むと、幕府主導の制度維持が難しくなるから人情を(民衆を、という意味もあるのかな、と私は思った)コントロールしようと思ってたようです。
私の感想だけど、文芸の世界(俳句や俳諧)って派閥が出来ちゃってモメたみたいだけど、平和な時代だったのね。
遊びを学びとして正当化しているような気もする笑
楽しみでやっていたはずが、なんか宗教戦争みたいになってきちゃって。(これは勉強会などでもよくある笑)
文学の派閥は、国の行方というか、政治や思想に対する考え方の差みたいに思えて。令和のいまとあんまり変わらないなと思うと、ふとおもしろく、嬉しくなります(*’▽’)
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丘隅は自分の経済観について、時代の変革に合うように考えたけれど迷いながらの選択であり、みんなからの評価(同意?)を求めている、というような小室先生のご見解でした。
令和の現在もそうなのかもしれないね。誰だって、自分の考えが正しいであろうと思っての言動だけど、そう思わない人もいて。そっちを聞けばそうかもなって迷うし。一般論だけど、意見の相違は敬遠されがちで議論が成立せず、相手の考えてることが分からない傾向がある。
政府の動きとしても、SNSかなんかのワードがバズり、報道がひとり歩きしたり、
こども家庭庁を作ってみたり、残業規制をしたり、人手不足対策で色々やってみたり。イイなと思ったけどこんな問題が・・・・とか、理屈は分かるけど、イマイチ・・・・とか、あるもんね。
・受講してよかったワ。帰路へ
東海道かわさき宿交流館の3階の企画展は、坂本九さんでした。令和8年5月に郷土市民劇があるみたいです。事務所のすぐ隣だし!行きたいな~。
講演の帰りは、アイドルのライブを横目に通り過ぎ、川崎のモスバーガーでオニポテを齧りながら。
受講して良かったなぁと思いました♪
帰りの南武線はホームに乗客が溢れかえっていた(^^;)



