2026.3.24 山梨県の甲府の駅からすぐ。舞鶴城公園に寄りました~。てっぺんに 建っているあの碑はなんだろう?と、寄ってみました。
山梨県が山林を下賜された、感謝の碑でした。へ~!
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・甲府城は豊臣秀吉の時代から
甲府駅からすぐのところに、かつて甲府城があった跡地が残ってます~。意外にも、武田信玄の城ではない!豊臣秀吉の時代につくられたそうです。
武田信玄公は、自分の城を作らずに、「躑躅ヶ崎の館」(つつじがさき。現在の武田神社のあたりだったそう)で過ごしたそうなのです。
山梨県庁の向かいなので、、、というか、甲府城跡地の一部を県庁で使ったのだそうです。
山梨県庁でランチした後、甲府市役所の展望室を見学して、目的の博物館が火曜日休みだったので次回のお楽しみ。
甲府城跡地の舞鶴城公園に寄ってみました~。
桜がキレイに咲いてました♪
・信玄公まつり、晴れますように
令和8年4月3日~4月5日は、武田信玄公まつり!「風林火山」の旗がはためいてて、カッコイイ!
協賛の事業者多い!信玄餅でおなじみの桔梗屋さんのスポンサー旗もあったよ。
武道場から、剣道の「ヤーッ!」という気合いの声に、信玄公スピリッツ・武士道の精神を勝手に連想して、背中がピッとします。
桜、城、武道!ごちそうだね♪
・謝恩碑
城跡にぴょんとそびえる碑。ちょっと見てみよう~と行ってみました。
「謝恩碑」という説明案内板がありました。
なになに・・・・。
明治44年3月11日。山梨県内にあったご皇室の山林を明治天皇から本県にいただいたことを記念して建てられたものだそうなのです。
続けて、謝恩碑の西面の碑文を現代的に表現したものが書いてありました。
山梨県は、度重なる水害に悩んでいて、復興のために明治天皇が山梨県の山林を県に与えてくださった、とある。
明治40年8月の水害があり、人的被害が発生。田畑は川原となってしまった、とある・・・・。
復旧していないなか、明治43年8月にまた水害が発生してしまう。
この水害の原因は、山梨県の8割が山林なのに無計画に山林を切っちゃって山が痩せてしまったから。
長雨で山がくずれてしまい、水害になってしまった。
陛下が御料地を山梨県に与えてくれたから県民は感激して、将来、美しい森林が繁るようにと心から願う~大正8年3月、県知事。とあります。
翌年に関東大震災が発生、甲府は震度6だったそうですが、謝恩碑は耐震構造バッチリで作られたので無事だったそう。(作るのに10万円近くかかってる)
・信玄公→徳川家→天皇家→国民主権へ
謝恩碑は、当時の甲府城の本丸があった跡地に建てたそうです。私は観光客なので分からないけど、当時の県民がどう感じたんだろう。
信玄の時代の後、徳川の江戸時代が続き、明治維新で幕府はなくなりました。
武田家は城を作らずにいた。甲斐の国が徳川家の支配となって城が作られた。山梨と言えば武田信玄公ですが、住民は(信玄と無関係のよそから来た支配者が作った?)甲府城に対する愛着はあったのかな。
天皇は明治維新まで西日本がメイン(奈良・京都)でした。明治時代になって40年かぁ。当時の東日本の人たちって、どう思ってたんだろう。
(ちなみに日露戦争が終わったのが明治38年)
・山林は宝
恩賜林
御料地の山林を県がいただいたから遠慮なく立ち入って手入れすることができるようになったのかしら。良かったね。
山梨県HPより 恩賜林について→ https://www.pref.yamanashi.jp/shinrin-ss/25107832296.html
山林の世襲・・・
現代だと、地方の山林は相続人が処理に苦労していることもあるのか、「ボクも山林を県にあげます!」といっても却下されちゃう可能性があります笑
けど、水源地だったりする山林は大事で、森林に関する規制や法律があるようですが、
よそから来た人がなんらかで購入して森林伐採などしてしまう可能性はあり(記憶に新しいところでは熱海の土砂災害などもあります)。
だからといって遠くに暮らす相続人が、ご先祖さんが所有していた行ったことも聞いたこともない山林について。土地と地域愛をもって手弁当で永遠に手入れを続けられるのか。
それが相続というもの(プラスもマイナスも引き継ぐ)、なのでしょうが、私有財産をどう考えるのか、難しいな。分からないな。
山林の相続について、大手税理士法人のサイトが参考になります。なにかで私のサイトに辿り着いちゃって計算方法が書いてないヨと当てが外れている方は、下記サイトをご覧ください!どういたしまして。
山林の相続│手続きと注意点~不要な場合の対処法も解説!|相続大辞典|【相続税】専門の税理士60名以上|税理士法人チェスター
森林環境税がなんとかする・・・
森林環境税(1世帯5000円の住民税上乗せ徴収)で森を守る原資は作ったので、国がなんらか考えてるであろうと思ってるけど・・・・。(先に予算を使っちゃうけど後から徴収する仕組みで始まったはず。)
甲斐の黒駒・信玄の騎馬隊はまた今度
山梨県は80%が山林というのも意外!でした。
そういえば、武田信玄といえば騎馬隊ですが、馬も山で育つので移動に苦労がなかった、という話を聞いたことがあるわ。
甲斐の黒駒、山梨県の馬の歴史はまたの機会に勉強します~。
・私の山梨の鉱山研究はこれからだ!
信玄公の成功の大きなカギとなった、黒川金山の跡地(山梨県の2時のあたりで、東京・埼玉に近い。国道411号です。鶏冠山)は、御料地ではなかったのかな~?
黒川金山では、資源が枯渇した後は、鉱山について秘密保持のために花魁淵と呼ばれる悲しい出来事があったといわれる地でもあるそうで。。。
もはやあんまり儲からなくなった金山に、花魁が55人もいないと思うんだ(スタッフも含めて?)。それに、そんなに大人数が乗れる吊り舞台を作れるんだろうか。
人数や状況は盛ってそうだけど、人を消耗品のように扱っていた時代でしたので、この悲劇はありえる。。。
山梨県には有名な鉱山が2つあり、黒川金山と湯之奥中山金山があります~。
私の研究は全然足りないので、身延の湯之奥中山金山の資料館に行って、下部温泉に浸かって♡来たいと思います。
・水害対策に終わりはない
水害をなくすために尽力した信玄堤、明治時代に発生した森林伐採で再びの水害。
水は大事。食糧の治安の不安なく、平和に暮らせれば、文句は出ないんだよ。
鉱山の歴史は環境破壊の歴史でもあるので、多分だけど黒川金山や湯之奥中山金山(身延)も鉱物を処理する過程で何らかの環境汚染はあったんだと思うんです。
今回の甲府の旅では、そこまでリーチしなかった!
・来年も桜を見よう
災害は次世代の注意喚起だからツライ出来事ばかりが記録されているけれど、
そこにはたくさんの人の幸せがあったんだよな~。
今年も桜がキレイだったとか、来年もどこかに見に行こうと思ったり。
私は去年は小田原城に行ったんだ。今年は甲府城跡に来たんだなぁ。多摩区の二か領用水の桜も見にいこう。
今日は天気が良くて、安全に眠れる場所があって、食べ物があって、平和と健康がありがたい。
信玄公の時代も明治時代も令和の今も、山梨でも川崎でも、人は同じ想いなんだろうな~。ささやかな幸せに感謝しよう。今日だけでも!笑







