30.9.16 富岡製糸場に行ってまいりました。
明治時代、女性を働かせて生産性向上、従業員が辞めないように居心地のよい職場を目指した、という時代がありました。
アレ?今も似たようなことやってるけど?デジャブ?
・明治天皇の富岡製糸場
江戸時代の鎖国時代から、国際化への道を開かざるを得なかった日本。明治になり、今まで暮らしていた人たちは「天皇」という存在が一番偉いから、通りかかったら端によって頭を下げなさいという、立ち居振る舞いについての周知が新聞で行われる。
そんな、明治天皇という存在に馴染みがない明治3年、富岡製糸場は国家のもの(当時の主権者である明治天皇のもの)として作られたァ!
今まで、各家で行われていた絹織物を、工場でドドドとやりたい!ということだったみたい。近代化・工場を作って儲けよう。
外国にディスられたかなんかした?焦燥感があったんだろうか。他国と比べてばっかりではなく、自信持とうよ!ガラパゴスっちゃおうよ!
・人件費で赤字。
富岡製糸場は、最初はフランスから招いた外国人講師や技術者への報酬が高い上に、人がバンバン辞めるので赤字経営!
そうでしょうねっ。
人材が集まらなくて7カ月も開業が遅れたらしい。固定費がもったいない!非効率に税金が使われていたのだ、1870年(明治3年)から、人のやることは同じ。
結局、人材確保なんですよね~。「あなたが輝ける職場」とか言ってるけど、結局人材確保の手法の一つなんじゃないか?
・女性の労働力頼り
女性の労働力を頼り、女工を募集したけど人気がなかったみたい。馴染みもないし~。フランス人が飲む赤ワインが生き血だからと勘違いって、そんなことある!?
さて、そこで、労働環境の整備を行ったらしい!女工だらけのお祭りを行ったり、寄宿舎を作ってみたり。
仲間同士で囲い込みをしたんですねぇ。そのうち、居心地もよいしお金ももらえるし昼飯作らなくて良いし(多分ね!)仕事はそんなにきつくないし(多分ね!)ということで、人材は安定したみたいです。
夫が見たかったという、女工の働くお部屋(繰糸所)は素晴らしく。工場ってイイ!
女工(がいたであろう場所)の頭上に見える黄色いバケツには蚕が入っていてグルグルと回り。きっと、サボっていると女工の頭上のバケツから蚕がわんさかと落とされるに違いないっ。と言うと夫、「ひょうきん族じゃあるまいし」
フランスからのブリュナさんたちは、契約満了で帰国致しました。ありがとう!特別にいいお住まいをご用意しておりましたが、日本はいかがでしたか?♡
・割と売れた蚕糸
ヨーロッパでは流行病で蚕が激減した時代があったらしく、その時代に日本の蚕糸が代用され、人気となったらしいです!
本当かしらね?
国内消費だけでイイヤと思わずに、輸出して正解だったね。
結果論だけど、商売ってタイミングだよね。供給が不足してたから手に取ってもらえたわけだ。
・払い下げられた富岡製糸場
明治26年、明治天皇から三井へ払い下げられた。
その後、原、片岡、と転売・合併をされ、昭和62年まで115年間操業を続けていたらしい!ステキ。
平成17年に片岡工業株式会社が全ての建造物を富岡市に寄贈した、とのことです。平成18年、片岡工業と土地の売買契約を締結。と書いてある。
相続税関係ってどうなっていたんだろう、とか思いませんか。自用地評価だったけど、建物だけ他人であれば借地権分が・・・とか思いませんか、そうですか。
・富岡製糸場の経営・労務関連
富岡製糸場では、人材確保のしくじりや乗り越えてきた歴史を勉強できました。
事業拡大の際の赤字、販売のタイミングなど、色々見てたけど資本があれば強い。その点で、国家での経営は潰れずに国民から搾り取れば失敗はないので強いよねぇ。
現在は、色んなことが公開されるので、昔みたいに公務員はテキトーできない訳ですが、厚生労働省は「テキトーなこと」がない証明に書類にいちいち残す。
で、この「証拠書類残しておく、みんなが分かるように!」という精神は税理士などの会計業界であれば割とお馴染みなのですが(と、私は思うけど)、「えっ紙で取っておくために公務員にめちゃ残業させて疲弊させるって根性焼き?」というお声もあるようです。
厚生労働省がかなり、ブラック労働環境らしく・・・
当時の女工さんのように、キャッキャと働け・・・る公務員時代は戻ってこない。
しかし、公務員の頭脳は国家の財産、といったら怒られるかもしれませんが、公務員だからといって、消耗品扱いしていい訳がない。手抜きなしできちんと働いて、普通に休んで、体壊したりしないようにネ。