2023.3.31(作成日5.10) 日立にある、JX金属グループの日鉱記念館に行ってきたよ~。
さっきニュースで、エネオスグループが子会社のJX金属を分離するか検討中、と聞きつけまして。
ゴールデンウイークに作成しようとしてサボっていた鉱業の歴史からみた日本の近現代史のお勉強の成果を書いとくわ~。乏しい記憶を頼りに書いちゃおうと思います。
クリックできる目次
・創業者
久原家という名士のご子息さんが1905年(明治38年)に赤沢銅山を買って、「日立鉱山だ!」と名付けて開業されたそう。
日鉱記念館は、「創業者スバラシイっ」な資料館でしょうが、保存されている資料がキレイで豊富でクオリティ高いよ!山奥にあるので行きづらさはあるけど、リピートしたいわ~。
あの場所には何かオーラがある。
日鉱記念館 → https://www.jx-nmm.com/museum/index.html
(1)諦めなければ
もともと赤沢銅山という名前がある通り、他の人が買って発掘済の山で、「なんも出ないや!」と多分安売りされてたんだと思う。紀伊国屋さんからも損切りされたような山ですよ。(要因:鉱害問題、天狗党の乱などで)
それをですよ!久原さんは諦めなかった!自分を信じて没頭し、そして大儲けした!素晴らしい~♪が序盤ですが、面白いのはここからです。
(2)人遣いは荒かった?
むっちゃくちゃ儲かったみたいです。当時の日本では当たり前だったと思うけど、ワンマンで、部下に「いいから成果出せ!」な経営者だったと思慮。
久原さん自身も、無茶ぶりだったけど役員やスタッフみんな凄かった、ありがとうお疲れ様、といった内容の記録を残しています。(私は若かったし起業したての信念に燃えていた、人遣いも荒かった、のように書いてあった)
(3)起業家精神。運もある
銅山は昔からあったけど、時代の波に乗ったんだね。
いまでいう、ベンチャー企業ですわ。久原さん自身も東京の一橋大学で勉強したりなど、努力が実った一面もあったけど、お家柄からの人脈、資金力も大きかったわネ。
成功って運も必要あるよね。「想い」だけではダメだ。
昔は、こういった「なにかをやり遂げたい!」みたいな純粋な思いがあったけど、今のスタートアップは「儲かりたい」な思いが強めに感じるのは気のせい?
(4)豊富な資料
豪華な生活ぶりは書簡や写真で感じ取れるよ。教科書に出てくる政治家などの名前もバンバン出てきて、「あ!それ知ってる!テストに出たやつ!」が結構あって、今頃になって無意味と思われた授業学習が繋がるという脳汁が出る経験できました。
政府の後押しもあり、税についての記載もあったけど、忘れちゃった。(わたしは、なにやってんだ!)
なんと、購入時の売買契約書が展示されている!印紙も貼ってるし、消印されている!
(5)賞与で資金繰り苦しくなる
個人事業で始まったけど、株式会社化します。
その後、大正7年(1918)にスタッフへの賞与として自社の株式をあげた。
100年以上前から、給与・賞与を株式で渡すという手法があったんだねぇ~。
今のストックオプションや従業員持ち株会みたいな発想ではなく、単純に儲かったから還元したいという発想だったように覚えてるな~。何だろう、税務的な何かもあったのかもしれないな。
あ、それで自社の株式を賞与で従業員にあげたんだけど、当時は今のような活発な株式売買の市場が無かったのでしょう、毎年配当をあげます、という株券だったそうです。
にしてもすごいよ!割り当てのための計算も細かいし、大変だっただろうなぁ経理・・・・。
そして、8年後の1926年に、配当金の資金難に陥る・・・・。
なにやってんだよ!スタッフに大盤振る舞いして、経営が厳しくなるなんて本末転倒なんですよ・・・・。
苦しい時も同じように給料を出すのが経営者の務め!内部留保が先!所得拡大促進税制は後回し!
(6)HD化、海外進出、閉山へ
創業者は、健康状態などもあり、経営者は義兄へ。
社名を変更し、日本初の公開持ち株会社化。鉱業部門を分離させて日本鉱業株式会社を設立したそうな。
その後、台湾・韓国なども含めて外国鉱山の買収もしていったようです。世界大戦などの状況下もあり、活況な鉱業だったみたい。
あれから、日立鉱山も足尾も夕張も釜石も発掘量が減るなどの理由で閉山となり、過去の栄華は忘れられちゃった。
現在は発展途上国の鉱山が稼働中みたいよ。
日立鉱山から日立製作所が独立して発展したみたいですよ。世界の日立は鉱山から!
(7)鉱山鉄道と衰退
鉱物の発掘にはいつも鉄道と公害がセットになってるんだよね。ローカル線を辿ると、何かしら「運ぶもの」があって、その地で採れる名産品的なものがあって交通が発達したんだよね。
鉄道はちょっと読むだけでも深く、地域の歴史って俯瞰すると日本全体の歴史であることがおもしろい!(いまごろ!)
労働者を大量に募り、乱獲して枯渇すると別の流行を追う。住民が増えて大所帯になって、需要が減り、他に産業がなければ寂れていくというのが夕張・足尾で見てきた鉱山歴史だったけど、日立は今でも栄えている。
なんだろう、違いは?
日立は海が近く、鉱山から派生した日立製作所があるからかな。(日立駅前にある工場は日立セメントだそうです)
日立は今でも、リッチな風が吹いている。そよそよ~。
(8)田中友子制度
① 華やかな儀式
足尾にもあったけど、日立にも「友子制度」(徒弟制度と共済制度のドッキングみたいな感じ)があった!足尾で知った「友子制度」は、面白くて、日立の「友子制度の展示」を見ると視覚で理解できた!
(無尽とはまた違う。こういう組織が私には面白くて!)
友子制度、結婚式みたいにお祝いムードだったのは、徒弟制度の色濃くて家族みたいなもんだったからかしら。といっても、美しい家族の絆というよりも、連帯責任に近いものを感じたかな。
日立の友子は華やかな感じだったけど、足尾で購入した資料によると美しいことばかりではなさそうだったわ。
そりゃそうよね。いいとこ取りはできませんよ。
② そういえば文楽の希望者が
ふと最近のニュースで思い出したけど、伝統芸能の人形浄瑠璃文楽(人形遣い)に今年は新入り希望の応募がなかったらしい、来年は誰か来るよ、ドンマイ。
覚悟がないとできない仕事だからしょうがないよ。誰でもいいわけでもないし。
現在の労働市場は、売り手市場と言われ働き手が足りないので勤め先を選べる立場だけど、頑張っても頑張らなくても時代の運に左右される事実に、運に恵まれなかった努力家はゲンナリするよね。大して努力しなかった後輩が重宝されるんだよ。
自分は前者だと思っていても、人から見たら後者かもね。コツコツやろう。そうだな。
③ 社会保障は友子で
鉱山の仕事は、職人の仕事もあったようだけど単調で危険なだけの仕事もあったようです。当時は社会保障が乏しかったのか、今でいう傷病手当金や障害年金は友子制度から出ていたらしい。(これは足尾情報)
④ 日立の禁酒会!
そういえば、日立鉱山には「禁酒会」なるものがあったよ・・・・。お酒の代わりに演劇を見ましょう、貯金をしましょう、みたいな活動があり、昔から「老後の自助努力」はあったんですねぇ。
多忙は心を失うし、暇は不安になって心を失うね。ちょうどよさ難しいかもね。
お酒大好きな税理士業界に、禁酒会があれば私にぜひお知らせください!私はお酒飲まないので、そういう健全なコミュニティに興味ある!
⑤ 雇用や組織は難しい
鉱山の労働には大量の人手が必要だったようで、生活必需品や移動手段は豊富だったみたい。運動会や盆踊りのような地域コミュニティは多くありました~。富岡製糸場もそうだったわね。良い時代だったのかもね。ワイワイやって時間を潰さないと、ストライキされたりするからね。
協力して作業しないと生命の危険があるので、スタッフ間の連携が必要だったよね。昔も今も、雇用って難しいんだね~。
複数の人が集まれば、楽しいことがある。嫌なこともある。気に入らないヤツがいて、なんだかんだ言われて頭に来たりするよね。私は開業したから上司も同僚もいない、ひとりボッチだけど、同業者の動向って気に入らないことよくあるよ。
みんなといても、ひとりでいても、気にいらないことってあるよ。気にするなよ。