2023.6.30 もう3年前になりますけど。2020年8月に足尾銅山に寄ったのは、とある税務案件を調べに行ったついでだったんです。
それが大衆演劇につながっていくとは思いもしなかったけど。
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・鉱山をめぐる旅
2020年8月、通りかかった足尾銅山近くの駅に途中下車して。足尾銅山さんぽ | 小野寺美奈 税理士事務所 (mina-office.com)
このノスタルジーはもう一回来るしかないわ~と思って、また行った!
そこで出会ったのは教科書で知る足尾銅山鉱毒事件と、市民目線から見た足尾銅山鉱毒事件。加害者と被害者で歴史が違うんだ。
https://mina-office.com/2020/11/02/kajika-yoake/
時代に乗って栄えた後に滅びた町を見るのが衝撃的だったわ。使い捨てされた地が可哀想だったし、そのおかげで今の私の文化的な暮らしがあるという現実に気が付く。
3年後、友達から青春の18きっぷをもらって。
そういえば日立にも鉱山があると聞いたことを思い出した。足尾銅山と同様に日立にも鉱山があり煙害もあったけど、海が近かったのと煙突が高かったので大きな問題にならなかったと偶然聞いたんだった。(レポが非公開のままだから、書かなきゃだ)
・鉱山の禁酒会 観劇
こんな経緯で、2023年3月31日、日立の鉱山記念館へ行ってきました~。https://mina-office.com/2023/05/10/hitachi-kouzan/#i-10
上記の記事に色々みっちり書いたけど、禁酒会で「お酒の代わりに演劇をみましょう」があったのです。
そういえば、足尾銅山で栄え滅びたあの町にも、劇場跡地があった。こんな山奥に劇場が?と疑問に思ったことがあったけど、日立鉱山の記念館で当時の鉱山労働者の暮らしを学び、3年前の謎が解けました。
私は分かった。
鉱山で働く男たちは、危険と背中合わせだったんだ。真っ暗な中を掘り進めていき、たまに事故もあるし先が見えないし。怖いですね。
当時の殖産興業、鉱山労働は儲かる仕事でした。労働流動性が高いから制約を付けたのが友子制度ともいえそうです。キツイ仕事だけど給料が高く、お酒が飲めたんだ。単純作業が多く、山の中とはいえ作業時間は夕方までだっただろうし、体力を使う仕事だから長時間作業は無理よね。
そうすると、夕方以降はヒマで、今と違ってテレビもインターネットも無いし、お酒を飲んでは遅刻したりケンカしたりで鉱山での作業に支障が出ていた。閉鎖的な上下関係、逃げても他の鉱山では働けないし、見せしめもあったみたいだし。労働者ストライキもありました。
ヒマって人を蝕みますよね。
そこで鉱山の禁酒会は、お酒の代わりにと鉱山労働者に演劇観賞を推奨した。
私は、日立の禁酒会で推奨した、「お酒の代わりに演劇を」というのがちょっと意外だったのよね。労働者が観劇、楽しかったのかなって。
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・温浴施設で大衆演劇を観て
日立から帰って2週間ほど、ふとしたことで川越の温浴施設を知り、演劇が無料で観れることもあり、行ってみた。想像以上に楽しんで帰ってきて。
この特殊な世界!
しかも、日光江戸村まで行かなくてもいい!”にゃんまげ”はいないけども。
意外と近くにも劇場があることを知り、川崎の小さい芝居小屋と立川の劇場に木戸銭2000円を払ってまで芝居を見に行ってきた。推し劇団を確定させ、その後も何度も大衆演劇を見てきて。ハマった!
「推し活」もやってみました!「沼落ち」の感情も理解できました。沼るね、わかる。
・炭鉱労働者のDNA
推し劇団が6月いっぱいで関東公演を終え、いざ大衆演劇の経済について日記を書こうと思い、調べてたところ。
推し劇団のルーツが炭鉱労働者だったことをファンの方のブログで知り。http://yamagutijiji.blog39.fc2.com/blog-entry-1289.html?sp
ボス橘魅乃瑠は、炭鉱労働者の両親のもと、1955年9月に福岡県中間市で生まれる
父母ともに素人芝居をしていたほどの芝居好きで、連れられて劇場にもよく通った
炭鉱労働者のご両親と共に芝居を観ていた一人の少年が役者を目指し、自分の子供のために劇団を旗揚げする。
現在の座長(当該炭鉱労働者の孫)は、父が持つ演劇の記憶の欠片が残っていたのかな。私が昭和な世界に引き寄せられたのは、鉱山DNAの欠片だったのかも。
と、勝手に鉱山の魔力だと思い込むわたし。
・商業演劇と大衆演劇の違い
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何度も通って、大衆演劇と商業演劇(たとえば歌舞伎)の違いについてもだんだん理解できた。
梅沢富美男チャンネルHPより 歌舞伎とどこが違うの?→ https://umezawatomio.jp/engeki/engeki_002/
大衆演劇は巡業
商業演劇との大きな違いは、ウィキペディアによりますと、大衆演劇は、”巡業を主体とする座長芝居”だそうです。
納得。
巡業、とあるように、現在の大衆演劇は、1か月単位で次の劇場等へ移動します。ノマドワーカーですわね。
東京で観た芝居が、関西や九州の方と時間と空間は違えど共有できるのがいいのよ~。(大衆演劇は、現地で観るところに価値がある。ウェブだと魅力が薄まる)
大衆演劇は観客数未知数
インターネットで調べてみると、商業演劇は最初から満席前提である一方、大衆演劇は思い立って見に来る(イベント時は予約で埋まることもあるけど)ため、大衆演劇は幕が開くまで観客数が分からない。ガラガラな時もあるでしょうし・・・・。
資金繰りが安定しませんね・・・。
別の記事で大衆演劇の経済を考えてみます。
大衆演劇のストーリー
大衆演劇は、ストーリーがシンプルで、勧善懲悪。今風の演劇のように解釈が様々で人によって意見が分かれるようなストーリーは大衆演劇では少ないし、誰もが分かりやすい見せ場があるし、迷わず泣ける!
大衆演劇は毎日、演劇の内容が変わるのが不思議で。
大衆演劇の場合、毎日来る人はそんなにいないんだし、同じ芝居を何度もやれば熟練度もあがっていいのになんでかなと思ったけど、もしかすると鉱山労働者が、仕事を終えた後、毎日観に来ていたからなのかな?夢あるよね!
まぁ、鉱山労働者の居住地に劇場があったからといって単純に結び付けすぎなのかもしれないけど、当時は演劇が流行していたようです。
・鉱山従事者のための秋田の康楽館
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現在、秋田県には1910年に建築された当時のままの劇場(康楽館)が残っていて、こちらは当時の鉱山従事者の福利厚生施設として作られたとのこと。鉄道レールパークもあり(ブルートレイン宿泊は出来なくなったけど)、鉄道・鉱山・演劇が揃ってるって私のためにある小坂町としか言いようがない。(違う)
康楽館HP→http://kosaka-mco.com/publics/index/51/
100年以上前の鉱山の香りが残っているかも?行かなきゃ!
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・枯渇する資源、変わらない心情
私がハマった、この大衆演劇というものが、鉱山労働者たちが観ていたものと同じようなものであったら、ロマンがあるなぁ。
時代は違えど、100年ほど前の彼らと現代の私が、同じような江戸時代ベースの人情劇を見たかもしれないね。
鉱山での仕事を終えた彼らも、演劇の主人公のために泣いただろうか?悪役が成敗され、晴れ晴れとしただろうか?今日、誰かに頭にきたことや悲しくなることを忘れることが出来ただろうか。考えてもしょうがない漠然とした不安を、ひととき忘れることが出来ただろうか。
天然資源が尽き、役割を終えた鉱山が閉山した後、人の感情で成り立つ大衆演劇がまだ残っている。