2024.10.17 公開研究討論会の勉強参加のため、福岡に来ました!さて。まずは町を知る!
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福岡市博物館へ行く
福岡市博物館は広くて充実。行って良かったです。基本的に月曜日が休み。(月曜祝日は振替で火曜日休みがあるので注意)
https://museum.city.fukuoka.jp/
・交通
福岡空港からスムーズにいけば60分かからずに着きます~。バス停から7分ほど歩くから、地下鉄まで行ってタクシー拾うでもよかったかも。(グーグルで「福岡空港から福岡市博物館 ○時出発」で聞いて言われたとおりに行った・・・・)
私は祇園町からバスを選びましたが、バス代は260円と安い上に首都高みたいなところを走行するので、右手には海を、左手には博多・福岡の町を眺めることができます♡
・正面の威厳ドヤ
福岡市博物館、入り口正面の威厳ドヤがすごいです。バス停から歩いてくると、脇の入り口から入るので、正面の出入り口もチラとみるのが良いと思います!
埋立地だったか、埋め立て地に近い場所だとか。広い!
・コインロッカーある
福岡市博物館は、入り口に受付の方がいらして、親切に教えてくれます。コインロッカー、100円戻るの助かる~♪
・食事は隣の図書館の脇へ
レストランやカフェは施設内にはないです。飲み物の自販機と休憩スペースはあります~。
隣の図書館に併設カフェがあって、私はそこでランチ。
・入場料
常設展示は200円。
私は特別展と共通券を買ったので1200円。市営なのに高めと思ったんだよなぁ~。特別展の大灯籠絵、迫力ありました。実質1000円だけど、観てヨカッタです。
・展示へ。所要時間
特別展の大灯籠絵&企画展の黒田家名刀展示を40分かけて観たあと。
常設展示は60分ほどで見ました~。さ~っと観るなら60分でも余るくらいかもだけど、私にはかなり駆け足だった・・・・。ゆっくり見る時間があれば、見応えがあると思います。きれいな茶碗もあるし、撮影NGの資料とかもあります。
公共施設の博物館って一般的に教科書通りの「縄文時代」とか「石器時代」から始まるのですが、福岡市博物館独自の11の区切りで展示されていました。
歴史の教科書とは違う時間の流れに沿った展示にしました、これこれこういう考えで。というのがあり。
このアツいポリシー!九州のイメージあるッ(イイね!)
写真(撮影NG部分もあるから注意)をたくさん撮ったけど、本が売ってた!「FUKUOKA アジアに生きた都市と人びと」1101円。
福岡は、弧を描く日本列島の西の端に位置し、大陸と朝鮮半島に近接しています。
古来、この地の人びとは、日本列島に住む誰もが知らなかった文化に初めて触れ、経験したことのない生産手段や経済活動を発展させ、遭遇したことのない脅威を克服し、豊かな都市を営みつづけてきました。
福岡市博物館の常設展示は、アジア諸地域との人・もの・文化の交流がもたらした特色ある歴史と、その歴史が育んだ人びとのくらしを、11のコーナーを通して紹介します。
1、金印の世界
金印の世界では、純粋に黒い6畳くらいの部屋に国宝の金印(2センチ角くらい)がポッチリ展示してあります。
2、福岡のあけぼの
石器時代のこと。あんまり興味ないや~。
3、奴国の時代
奴国の時代で、稲作が出てくる~。日本最古の水田跡で知られる弥生時代の集落「板付遺跡」(いたつけいせき)は福岡市は博多市にあるそうです。
博多は玄界灘の先が大陸なので、稲作が日本に最初に伝わったのは博多近辺(北九州地方)、なのですね~。朝鮮半島からの渡来人が稲作について道具や知恵を持ってきて教えてくれて、交流・定着していったそうです。もし、もっと大陸と日本が離れていたら、稲作は伝わらなかったかもしれないのね。
稲作があったから食糧が安定したし、集落ができ、同時に争いが起こる・・・・そう書いてありました。
4、鴻臚館の時代
鴻臚館の時代は、7世紀後半~11世紀中頃までの外交施設「鴻臚館」(こうろかん)の紹介がメイン。知らなかった~。
西暦663年に白村江(はくそんこう)の戦いで日本のヤマト政権が大敗。日本が百済再興のため軍を送るが、唐と新羅の連合軍に負け、唐と新羅の連合軍が福岡に攻めてくるのではと防衛に力を入れる。
防人(さきもり)を置いて、現在の場所に大宰府(この頃の太宰府は太ではなく大でした)が置かれたきっかけとなったようです。へ~。
701年の大宝律令、唐と新羅との外交も復活させ、鴻臚館が出来たそうです。
5、博多綱首と唐房
博多綱首と唐房コーナーで学んだこと、鴻臚館がオワコンになった後、私貿易が主流になったそうです。貴族や荘園の領主たちの中で唐物がブーム。博多・中国間の貿易を宋人(中国人)グループが主に行ったのでは、とあります。
日本最初のチャイナタウン、国内に所領を持つ者・日本人と結婚する者もいたようです。その土地と近所の人たちを大事にしてくれれば、国籍とか関係ないよね~。外国人が定住するほど、貿易ビジネスがうまくいったんだネ。
11世紀後半、今の櫛田神社あたりは微妙に海だったみたいです~。
支配階級が海外ブランド品にうつつを抜かせる平和な時代でしたが、1274年に元軍と高麗の連合軍3万人が対馬・壱岐を攻略して博多湾に侵入!
(モンゴルの)フビライは、日本に使者を派遣して朝廷を求めた。だが、鎌倉幕府がこれを拒否し続けたため、元は軍事遠征を開始したのである。
蒙古襲来により博多湾沿岸部は戦場に!日本軍は苦戦したけど、一夜にして船もろとも博多湾から姿を消した「文永の役」。砂浜に壁(元寇防塁)を作ったそうです。
7年後の1281年にまた元軍が来るんだけど、暴風雨で元の軍船の大半が沈んだそうです。(弘安の役)
そんな日本と元の戦争中でも、貿易はしていたみたいです。宋商は、南宋国が元に滅ぼされたこともあって、対外交易の主導権が日本になったみたいです。
私は関東の人だから、外国からの攻めてくるという脅威が肌感覚でありませんが、九州や北海道、日本海側だと軍事的脅威はヒトゴトではないよね。鎌倉幕府は相手を無視することにしたんだけど、現在の日本は対話で平和維持する姿勢。私はいいと思います。
6、博多豪商の時代
博多豪商の時代では、国際情勢の変化に順応する貿易、豊臣秀吉も出て来ます!
中国大陸は元から明へ(1368)。朝鮮半島は高麗から朝鮮王朝へ(1392)。琉球では琉球王国が発足(1429)。日本は足利義満が統一(1392)
種子島に鉄砲が伝来(1542)、南蛮貿易が始まり西洋との出会いによりキリスト教の布教、博多がお金持ちのまちになったので支配階級が奪い合い、豊臣秀吉が九州平定(1586)し、キリスト教禁教の第一歩へ。
豊臣秀吉による「太閤町割」という区画整理・・・都市計画、秀吉が明の征服を目論んで朝鮮半島に軍を派遣(文禄の役1592、慶長の役1597)では博多は兵站の役割を担う。
当時の方は、この後、江戸幕府が鎖国し、めちゃ儲かった中世博多時代が終わるとは夢にも思わなかったにちがいない・・・・。(博多豪商は福岡藩の御用商人になったらしいです)
7、福岡藩の時代
福岡藩の時代は、国際貿易都市の色が残る商工業のまち博多と、城下町の福岡の双子の都市の時代。
黒田孝高と、子の黒田長政から始まる、黒田家による治世が幕末まで続きます。立派な大名さんだったんだなぁという印象です。
黒田孝高、通称官兵衛。織田信長の才を見抜き、主君の小寺政職に進言して羽柴秀吉の配下となり、、その知力と忠節は素晴らしい、とあります。この後の観光箇所でもちょいちょい出てくる黒田家です!民謡・黒田節のモデルらしいです。
日本号という槍は、特別室に実物がありました~。日本号の槍、写真NGだった!思ったよりかなり長い槍でした。
酒は呑め呑め呑むならば 日の本一のこの槍を 呑みとるほどに呑むならば これぞまことの黒田武士(くろだぶし)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E7%94%B0%E7%AF%80
島原・天草の乱(1637)では、福岡藩も2万の軍を送り鎮圧に貢献した、とあります。
福岡市博物館にはさらっとしか記載がありませんでしたが、島原の乱ってキリスト教弾圧と、担税力を越える厳しい年貢の取り立てでその仕打ちに耐えかねた人々が一揆を起こす民衆の一揆だったような。確認しました~。
南島原市HPより→
https://www.city.minamishimabara.lg.jp/kiji0034735/index.html
寛永十四年(1637)から翌年にかけて、島原半島南部で起こった一揆である。農民一揆及びキリシタン一揆としての側面を持つ。
時の島原藩主、松倉氏の治世下において行われていた年貢の取り立ては、本来の石高を大幅に上回るものであった。また禁教令に伴うキリシタンの取り締まりにあたって、棄教を拒むものに対する仕打ちは苛烈を極めた。こうした状況に寛永十四年の飢饉も重なり、ついに耐えかねた領民が代官を殺害する。この事件に呼応するように、島原半島各地で次々に領民が蜂起する。
農業全書という農業マニュアルが刊行される(1697)。享保の大飢饉(1732)筑前国内に餓死者多数の大被害、とありました。
幕末の博多福岡は、尊王攘夷がいいとか、佐幕がいいとか、意見が割れたようです。大陸が近い博多・福岡。開国について当時の福岡博多の人たちはどう思っていたんだろう。
明治維新の流れに出遅れた、とありました。時代なんて誰も読めないよねぇ。
8、近代都市・福岡の時代
明治2年の廃藩置県(1869)で、福岡藩・秋月藩・豊津藩・千束藩・柳川藩・久留米藩・三池藩が県域をあちこちしながら、最終的に福岡県になりました。
大正時代はデパートが出来たり、昭和5年は名島水上飛行場が開港し、中国上海を結ぶ定期航路が開港、観光がブーム。ものすごい勢いで発展をしたことが分かります。ビックリ。炭鉱の記載はほぼ無し。福岡市の博物館だもんね。
昭和6年(1931)満州事変。昭和12年に盧溝橋事件で日中戦争。
昭和20年(1945)終戦。終戦直後の一大事業、引揚港博多。終戦時、海外にいた日本人は約660万人とされているそうです(一般人を含む)。
引揚者(一般人)と復員者(軍属の帰国)を1年半にわたり97万人を迎え、佐世保港とならぶ有数の引き揚げ港だったそうです。同時に、日本から50万人の朝鮮人や中国人を送り出した、とありました。
9、現代の福岡
高度経済成長期の記述、人口集中で団地が出来ました~三種の神器(白黒テレビ・冷蔵庫・洗濯機)だったり西鉄ライオンズの稲尾様、といった地元の人に刺さる展示もありました。
10、福博人生
とある博多の一家のストーリー仕立てで民俗を学ぶ!山笠、嫁の実家に贈るブリとか、八朔節供、などなど。
お葬式コーナーもあって、私が見たことあるのとだいたい同じでした!だんだん、、、時間が気になって来たし、体が疲れてきた・・・。
11、山笠の世界
博多祇園山笠についてのコーナー!
スタジオジブリのハウルの動く城なんて目じゃないな。町をみんなが物理的に動かしちゃってるてすごいね。
この後、櫛田神社で実物を見ました♡10メートルの高さ、だそうです。おおおお~!すごい迫力!これを実際に動かしちゃうんだなぁ~。すごい。
ここまで4600文字を越え、ちょっと書きすぎた感じはあるけど、、、1記事になんとかまとめました!
駆け足で見たから勿体なかったけど、色んなところを見たいから~。
その地を学ぶことは地元の人を知ることと同じだと感じます(*^^*)。雰囲気だけで何を知れたってほどでもないかもだけど。お勉強、楽しかった~♪