2025.3.22 川越で、江戸とお金 両替屋の役割や庶民の暮らし、という企画展を見て来ました!
両替商は、その後の銀行になります。
川越にある、りそなコエドテラスは、かつての八十五国立銀行の本店をリニューアルした建物です。八十五国立銀行は、埼玉りそな銀行の前身だそうです。埼玉県唯一の国立銀行だったとか。
さて、旧金庫室内の企画展、展示内容はシンプルでいいですね!無料です。
・両替商について
さて、企画展から学びます!
両替商の信用力が上がったため、現金輸送に変えて為替取引が可能になった、とありました。
そうそう。近江商人博物館でも貨幣について勉強してきたの思い出したヨ。
藩札の発行を請け負ったり、年貢米の流通にかかわることもあったみたいです。なるほどね~。
三貨制度(※末尾に説明文を引用)の下、町でお金を使う人たちは、両替屋で、金貨(江戸でメイン)・銀貨(大坂でメイン)を町で銭貨(銅貨)に交換していた。
・・・両替商に貨幣が集まるのでお金を貸したりし始めたのかもしれないね。なんか時代劇で見るやつよね。悪役なことが多いけど笑。
年貢米は大坂で売買されて資金化し、参勤交代の費用などに充てられ、江戸は参勤交代制度によって巨大な消費地になったため、消費する商品の代金と年貢米の代金とで相殺した。
・・・そういえば学校で習ったの思い出しました~。
・江戸時代のクレカ制度
江戸時代の後半は資金不足がよくあったようです。ツケ払いが頻発したため、かよいちょう(通帳)を持参してツケを書いてもらっていたみたいでした。
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今でいうクレジットカードやペイ払い、みたいなもんですかね。昔からあったのね。
江戸時代の後半は、農村でも貨幣流通がしていたとありました。そうなのか~。。。
・江戸時代の金遣い?
江戸時代、6歳から小遣いをもらい、10歳から4年間ほど教育材料費がかかり、16歳で酒代、20歳で結婚し、60歳前後で隠居していたなんて面白く書いてありました。3割が酒たばこ代金だってさ!勿体ないわね~。
・私札
17世紀初めには私札、自らの領地で独自の紙幣を発行していた。伊勢地方の商人が発行した紙幣が日本で発見された最初の紙幣だったみたいです。
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福岡県の博物館(県立か炭鉱か?)で勉強したけど、独自の通貨だけを与えると外に出られなくなるので。。。移動の自由がない時代なら、その地域だけでしか使えない通貨でも不便はないともいえるけど、「足抜け」が出来なくなるわネ。
自由を奪うには、独自の通貨が便利だったのかもしれませんね。。。他で通用しない通貨に価値はないんだけどね。
藩札・・・軍票みたいなものだったのかも。ハンセン病資料館でも独自通貨について展示がありました。
お金の価値ってなんだろうなって思うな~。有難がってるけど、結局紙幣貨幣はモノに過ぎなくて、信用(日本への)があってこそ、お金の価値でしょ。停電してたらパスモ持ってても意味ないじゃん。
生きるための生活費だったり、小遣いだったり、使ってこそのお金だけど、スッカラだとイザというときに立ち行かなくなります。
誰も助けてくれないんよ・・・・。
両替商の展示を見て、現在の物価高とか最低賃金とか米騒動とか、色々考えた。次の日記に書きます~。
・三貨制度の説明(引用)
※三貨制度について、貨幣博物館のホームページの日本貨幣史から引用(改行はおのでらがしました)。→ https://www.imes.boj.or.jp/cm/history/content/
近世16世紀半ば~19世紀前半
16世紀以降、戦国大名による鉱山開発により金銀貨がつくられた。織田信長は金・銀・銭貨の比価を定め、豊臣秀吉は天正大判などの金銀貨を製造した。
徳川家康は金銀山の支配を進め、貨幣製造の技術・体制を整備し、1601年慶長金銀を発行した。
その後、江戸幕府は、寛永通宝を発行し、金貨・銀貨・銭貨による三貨制度が整った。
三貨制度は、統一政権が国内の基準貨幣を制定し、日本独自の貨幣体系が成立したという点でその意義は大きい。
一方で、各大名領国内では藩札など三貨以外の貨幣も容認され、江戸時代は実際には、緩やかな貨幣統合であった。
18世紀後半、農村での換金作物の生産の普及などから貨幣経済がより浸透し、小額貨幣の需要が増大した。
江戸幕府は、金貨単位の計数貨幣「明和南鐐二朱銀」を発行し、秤量貨幣であった銀貨は事実上、金貨の補助貨幣となった。
幕末にかけて、財政窮乏を補うために行われた文政・天保の改鋳によって慢性的なインフレとなった。