2025.7.16 東海道かわさき宿交流館で偶然、アミガサ事件を知りました!
1914年、多摩川築堤工事の神奈川県知事への直訴のことだそうです。当時は、市民運動をすること自体が犯罪だったようで、だから、”事件”なのかな。
・偶然見つけたアミガサ事件
東海道かわさき宿交流館に行き、帰りがけにここでだけ読んでいい参考資料を発見しました。
会報誌「チョンボリガサ」というタイトルが面白くて、地元の踊りかなぁ、と気楽に手に取り。丸イスもあったので読んでみたら。
1914年(大正3年9月)アミガサ事件、という多摩川の氾濫防止のための築堤工事の陳情の話でした。
(゚д゚)!・・・おもしろいじゃん。。。
・アミガサ事件 参加者
1914年当時、人々が集まることは治安悪化につながるため禁止な時代、警官に止められたりもしつつ、数百人(500人とも1000人とも書かれている)規模の川崎の人たちが集まり、神奈川県庁に陳情した。
その時、参加者は目印の意味・警官に呼び止められないようにする対策のような意図でアミガサをかぶっていたため、アミガサ事件と呼ばれたそうです。
・アミガサ事件で叶えたかったこと。
ざっとした記憶だけど、多摩川はよく氾濫していて、川向うの東京は対策として護岸工事をした。だから、という訳じゃないけど
多摩川が氾濫すると川崎側に更に被害が増大するだろう、だから川崎側にも対策の工事をしてほしい、東京側が嫌な顔をしてるの知ってるけど、川崎の人たちの家が流されて田畑が水に浸かっちゃうの困る!
という訴えだったようです。まっとう・・・・。(実際にはもっと論理的だったみたいです)
・有吉知事が断行
内務省はダメと言い、当時の県知事も内務省に逆らえず陳情は成立しなかった。
川崎の家からは1人という制限があったようだけど、当時は治安維持のため大勢の集まりは禁止、それでも陳情を行ったようです。川崎の人たちが決死の覚悟で神奈川県庁に押しかけた陳情はダメだった。
翌年に県知事が交代、有吉知事は多摩沿線道路のかさ上げ工事をして、内務省に怒られましたが貫いた。という顛末のようです。
・平和な陳情でよかった
この後100年経過し、多摩川の氾濫はあったけれども、築堤工事のおかげで救われた命や財産がたくさんた~くさんありました。(大きいところでは1974年の狛江水害、最近では2019年の台風で浸水被害がありました)
県庁に村民が押しかけるというワードだけで、つい一揆を想像してしまいましたが、ちがった。よかった~。当時の神奈川県庁が燃やされる前に対応してくれてよかった。。。
アミガサ事件も民衆運動の1つにカテゴライズされるのかしら。川崎の多摩川に!(二子橋より下流の出来事だったそうです)
アミガサ事件が美談として残せているのは、将来目線のある自然災害の予防だったこともあるけど、暴力的なことがなかったことも大きい気がします。(現場ベースでは警官と小競り合いとはあったかもしれないけど)
こういう住民の願いの陳情もデモって言うのかな。私のデモのイメージが少し変わりました。
また機会があればアミガサ事件のこと、調べてみよう~っと。
参考:国土交通省HP あばれ多摩川発見紀行 → https://www.ktr.mlit.go.jp/keihin/tama/use/panph/kyusan/10jigyo.htm
・現在は議会制民主主義に
2025年の現在、まっとうな意見なら、たとえ少数意見でも市議会や国会が取り上げるように議会制民主主義が機能している。有権者は未来を考えて世の中の仕組みを学び、議員を育てていくはず。そう信じている。
今日、令和7年7月20日は、第27回参議院議員通常選挙でした。今回も夫婦で投票に行って来たヨ!
テレビで選挙速報を聞きながら。