2025.7. 読了、「豪農たちの見た新選組」近藤勇の政治思想から自由民権運動へつながりました~。
多摩地域出身の近藤勇、同じく多摩地方に支援者が多くいたようです。
先月6月15日、夫と一緒に町田市の自由民権資料館に行ったときにいくつか資料を買いました~。
1か月近く積読してたけど、7/18頃、めでたく読了(≧▽≦)
・「豪農たちの見た新選組」
2004年企画展(豪農たちの見た新選組~多摩に芽生えた政治意識~の記録)
で128の資料が公開されて記念講演があったようです。その記念の意味も含めた本だったのかな。解説付き!良本ゲットでした!拍手~♪
過去記事の自由民権資料館へ行ってきましたレポ→ https://mina-office.com/2025/06/24/jiyuu-minken-siryoukan/
・治安悪化、さらに黒船が来る
江戸時代後期、豪農たちは武術や剣術に憧れてたみたいです。
身分制度があり、農民は武士になれないし、一揆や盗賊の出現など村の治安問題もあったので武術があれば・・・・と思っていたのだと思います。
襲撃されるのは豪農だもんね。
1853年、黒船来航。横浜に近い多摩地域(当時は武相の国?神奈川県)にも外国人が通りかかったりして、社会不安、治安維持のために農兵隊が出て来ました。
攘夷派が多かったんだろうな~。ひとごとで済まない多摩地方。
・武士と百姓の関係性を考える
武士について、本書37頁をベースにわたしなりに考えてみると、
武士は軍役を担当する人で平和を脅かすことがあれば武をもってこれを排除する人。現在だと警察官みたいな感じなのかな。
百姓は、その費用を負担する人。現在だと国民市民なのかな。納税者だから。
・近藤勇と豪農たちの政治思想
現在の調布市あたりの上石原で生まれた後の近藤勇は、天然理心流の三代目に見込まれて養子になり4代目になる。
・・・わたしは時代劇に疎いので分かってない人のまとめだけど・・・・。
このあたりの豪農たちに政治事件などの情報が増えてきて、政治的な関心が高まったようです。近藤勇への手紙の返事から京都の事を知ったりなど、政治が身近な問題になっていきます。
経済的支援は、多摩地方の豪農たちがしていたので、手紙の返事がくるのね。精神的な支援にもなっていました。
京都からの近藤勇からの書簡もあり、「異聞録」が充実していくようです。
この「異聞録」、ひどい書かれ方もあるけど、当時は報道規制があるので仲間内や近所で読みまわすようなものだったみたいです。
新選組局長 近藤勇
なんらかのきっかけで殿様を守る仕事の為、京都に行った近藤勇。土方歳三・沖田総司らと新選組を組織して、局長の近藤勇が誕生!
本には「(新選組は)政治的活躍を始めます」とあって、新選組は結果的に戦争に巻き込まれてしまったけれども、政治的な思想の行動をする団体だったんですね~。へー。
鳥羽伏見の戦いで始まった戊辰戦争は、すぐに東国に戦場が移った、とあります。甲府で新政府組と戦ったみたいです。豪農たちは、政権掌握のために戦った、そんな風に書いてありました。(昼から酒を飲んで堕落しているイメージがありましたが)
板橋で斬首されてしまった近藤勇は京都まで運ばれて三条河原で梟首(きょうしゅ)、土方歳三も戦死。(´;ω;`)ウゥゥ
・新選組から自由民権へ
明治時代になると、宗主が政権に逆らった近藤勇だから天然理心流の勢いが下がるけど、剣術は残りました。文武道場「凌霜館」で剣術などで集まり、議論で自由民権運動をしていた場所となりました。
町田市立自由民権資料館は、「凌霜館」の跡地に記念で建てられてます。
・本書の構成
上述の企画展の資料と解説がありました。全体像がよく分かった!
記念講演1では、新選組は政治主張を持った政治集団である、という視点での記述でした!
記念講演2では、近藤勇の生い立ちから剣術と多摩地方の支援者たちをテーマにした記述でした!目的の攘夷は果たせませんでした、近藤勇は途中から攘夷は無理だと思って言わなくなったようです。
史料紹介もたっぷりありまして、私は分かったことの方が少ないけれど笑、明治維新前の混乱期の雰囲気がよく分かりました。
多摩地方にとっての新選組って、そうだったんだなぁ~。