2025.10.17 鉱山研究の秋、読書の秋!国立図書館のデータベースから、インターネットで、明治43年発行の講談本の侠客喧嘩屋五郎兵衛を読みました~。
さすが講談、痛快アクション・人情サクセスストーリーでした!フィクションだそうです。(実在の人物も入れてたりしてる)
明治43年に発行されました。玉田玉秀斎 講演 山田唯夫 速記。
明治時代ですよ!ちょっとの言い回しがイイです~♪
ちなみに、私はなるべくケンカは避けてスムーズにしたいので、好戦的な方は別の事務所へ~。税務署には事実の説明資料をはじめから揃えておけば戦いにならないのですよ(*^^*)
クリックできる目次
・喧嘩屋五郎兵衛をしらべた
鉱山研究の過程で、講談本という存在を知りまして。
炭鉱夫には現地には講談本を読むくらいしか娯楽が無く、休日に自分が働いたお金を換金して山を下りて芝居を見に行くことがあったそうなのです。嘉穂劇場など飯塚エリアのことでした。
喧嘩屋五郎兵衛という芝居に原作があると知ったので調べてみたら、講談本がヒットしたという!
オッ(゚д゚)!
読みます、約100ページ、おもしろくて一気読み!
温浴施設の大広間で見る大衆演劇の喧嘩屋五郎兵衛と違いすぎてビックリ!
大衆演劇は、顔にアザがあるからと恋愛を諦めていた博徒の喧嘩屋五郎兵衛。人伝てに美しいお嬢さんが自分と結婚したがっていると知り、最初は疑心暗鬼になるもアニキ朝比奈ほか仲間たちを祝言に呼び、実は大喜びの五郎兵衛。結婚式当日に、お嬢さんから伊之助さんと間違えたと言われ・・・・という、なんか人気がある演目です。
講談本は、ぜんぜん違った!名前が偶然の一致?無声映画があるみたいだけど、映画写真をみる限り講談本の話のように思えます。
まぁどっちが先でも偶然の一致でもなんでもいいよネ、講談も演劇も演者の自由な創作活動により庶民を楽しませる娯楽なのだから。
・物語の時代と人物設定
さて、講談本の喧嘩屋五郎兵衛は空想上の人物のようです。
寛永年間徳川将軍3代家光公の時代として、
”関東にありきは幡随院長兵衛、夢の市郎兵衛を筆頭として、唐犬権兵衛、釣鐘彌左衛門、放駒四郎兵衛、関西にありては朝比奈藤兵衛、喧嘩屋五郎兵衛として、船越重左衛門、有頂天の九郎兵衛、今辨慶の辰五郎、其の他数へ来れば数限りもございませんが~~”
と、登場人物の名前がたくさんでてきます。
彼等は元は武士の家に生まれた人物で義理と人情のために武士を捨てて侠客社会に身を投じた侠客、という設定で始まります。
幡随院長兵衛(1622-1650くらい)は実在の人物だったみたいです。強きをくじき弱気を助ける、義侠心、など書いてあります。
(ちなみに私の方針は納税者が強くても弱くても税法通りに税額計算しますのでご了承ください)
・五郎兵衛の生い立ち
講談本では、喧嘩屋五郎兵衛の主人公は、
”出羽の国は山形城に相傳(相伝)の弓矢を取って、奥州の伊達政宗、会津の加藤左典〇(さてんとう?読めず)と並び稱(ほう)せられたる、最上出羽守義光の重臣にして一万三千石を領し、忠勇無双と呼ばれたる、侍大将山近五郎兵衛康則の一子、幼名五郎吉~~”
との始まりです。
最上?陸羽東線の鳴子温泉の先に最上駅あるなぁ~と思いながら読み進めます。
主人公の喧嘩屋五郎兵衛のお父さん「康則」さんは、豪傑という設定。最上家騒動があり、山近五郎兵衛康則も、眼前主家の滅亡を見るに忍ばず、(8歳の息子の五郎吉に対して)
「君の御前途を見届ける為め、追腹切って相果てる心底、(中略)汝は後に生存へて、町人に成り下がってでも血筋を絶やさぬようにしてくれ」夫婦で切腹した設定になってます。
五郎吉「武士の家に生まれたら、主家と生死を共にしなければならんという事は常々書物で読んでおります。私がご介錯いたしますゆえ~」
( ゚Д゚)(イヤイヤ・・・・)
・・・・と、主人公の心意気を語るところから始まる喧嘩屋五郎兵衛の講談本です。
・江戸で町人暮らし
この後、五郎吉は家臣の喜三太に連れられて江戸で町人を装って暮らします。
川窪という旗本の子供が弱い者いじめをしていたのでやっつけたり、渋川伴五郎という先生に武道を教えてもらったり、という子供時代を過ごしました。
家臣の喜三太が旗本川窪に面体を割られた際には、自分の身を守るために堪えさせてしまったことを、5年経っても仕返しを忘れなかったのでありました。
18歳になった五郎吉、親代わりの家臣喜三太から父の形見の刀と遺言を受け取り、喜三太は、冥途黄泉の客と相成りました。
旗本川窪を含め18人と隅田川の河原でやりあい、旗本川窪を殴りつけて気絶させてしまう五郎吉。自らも切腹して両親と喜三太の後を追おうとしたその時、大久保彦左衛門忠能が駆けつけて、五郎吉を救う。
名前を五郎兵衛に変えさせ、母の遺言で仕官をしないと言う五郎兵衛に対し、江戸の夢の市兵衛(幡随院長兵衛に跡を譲った)という侠客のところへいって町奴になることを勧めたのでした。
・浅草で侠客になる
喧嘩と聞けば駆けつけて仲裁(を仕事?)をした五郎兵衛、浅草の夢の市兵衛のところへ紹介状持参で挨拶に行くも、唐犬権兵衛たちに礼儀が無い・生意気と嫌われてしまいます。
夢の市兵衛がイジワルのつもりで渡した、火のついた炭(?)を素手で掴んだり、湯呑みに入れて飲んだり、、、(子供が真似したら危ないのに!)
五郎兵衛の行動が夢の市兵衛たちを驚かせ、その度胸に一目おきました。
帰路、旗本川窪が鉄砲持参で五郎兵衛に復讐に来て、またしても旗本たちをやっつけてしまった五郎兵衛は、とうとう大久保彦左衛門からも「もう他国に行くしかないね・・・・」と言われ、大阪へ行くことにしたのでした。
・東海道を移動中
その晩すぐに江戸を出立し、川崎に宿泊。東海道を上って参り、小田原の城下にて相模屋平助という宿に泊まったところ。
同宿に島津家の藩士と名乗る男たちが宿屋の孫娘に酒の相手をさせようとしていて、娘が嫌がっています。そこへ五郎兵衛が助けようと、果し合いになる。。。当時、果し合いは止めてはならなかったみたいです。へ~。
(最上の)五郎兵衛は、箱根山も無事に越え、駿遠三の三ヶ国も通り、尾州宮、海上七里の渡し場に到着します。
この尾州の船の渡し場、船の渡し銭は45文。手持ちが25文しかないけど母の危篤だから船に乗せて欲しいという女性が、船の番頭さんともめています。
女性の身なりが悪いからと言って、番頭が女性を蹴飛ばすという暴挙に、五郎兵衛は見ていられない。料金を安くしてやれと言うが、他のお客の手前があるからダメだという番頭。(そうだよね~)
結局、五郎兵衛が不足金を出すので女性は船に乗ることになりましたが、番頭が投げ放つ女性への身なりに対する侮辱的な発言を許さない五郎兵衛。
番頭側の用心棒らしき人たちが五郎兵衛と乱闘となる。そこに、其頃大阪名題の大長者、淀屋辰五郎が角力とりを伴って助太刀にくる!
淀屋辰五郎は、船宿の番頭に20両を渡せと命じ、五郎兵衛経由で女性は大金を手にすることが出来たのでした~。
五郎兵衛を気に入った淀屋辰五郎、伊勢神宮から熱田の宮へお参りして帰るところだから、一緒に大阪へ行くという。
・大阪で賭場あらし・・・・
こうして、五郎兵衛と淀屋辰五郎との縁ができました。いつまでも辰五郎の世話になるのは気が引けると、大阪の宿に泊まる五郎兵衛。
通りがかりに物乞いが可哀想だと、財布ごとあげてしまう五郎兵衛。無一文なのに宿泊して飲み食い、宿屋の主人から宿代稼ぎに賭場あらしを勧められる。。。(賭場に乗り込んでいって、テラ銭を巻き上げろという!犯罪じゃん!賭場も犯罪だけど)
賭場主の胴金團八は怒り、子分の腕貫力蔵と帆柱伊之助、ほかの子分たちも五郎兵衛を追い返そうとするが打ち据えられてしまいます。
賭場では、五郎兵衛が来たら渡すお金を用意することで備えるが、他の賭場でも五郎兵衛があらすから、賭場から人がいなくなった。
・ケンカ仲裁料金表
賭場あらしで稼いだお金は宿代に払ってしまい、また無一文の五郎兵衛。
自分の得意な喧嘩力を活かし(?)ケンカの仲裁を仕事にしようと、大きなケンカが5両、真っ最中が3両、小さいのが1両と、夫婦喧嘩は心任せ、と料金表を決める五郎兵衛。( ゚Д゚)
ケンカと聞けば飛んで行って、頼んでもないのに、お金を取るのってオカシイけど、これは創作です(^^;)
夫婦喧嘩にも出てくるの?(≧▽≦)ウケる~
・朝比奈とケンカ
賭場をさんざん荒らされた團八さんたちが仕返しで五郎兵衛と揉み合っていた矢先、関西切っての大侠客、朝比奈藤兵衛が登場。
朝比奈は、以前は阿部左馬乃助の浪人、山中藤兵衛光章が成れの果て、とあります。子分?の辮慶の辰五郎と水浅黄の長吉が五郎兵衛に組み付くもダメ、怒った朝比奈藤兵衛と五郎兵衛が取っ組み合いのケンカ!橋から川に落ちてもポカスカとケンカ!
そこへ淀屋辰五郎が通りかかり仲裁に。朝比奈を兄貴分、すぐ下の弟分に五郎兵衛、その下に有頂天九郎兵衛・・・と定め、五郎兵衛の名前を喧嘩屋五郎兵衛と決まりました(あだ名?)。
こうして喧嘩屋五郎兵衛は、淀屋辰五郎の仲裁で、朝比奈藤兵衛と兄弟分となったのでした。(朝比奈が兄、五郎兵衛が弟)
・五郎兵衛、結婚する
喧嘩屋五郎兵衛は、淀屋辰五郎が世話をしてくれて家と子分を手に入れた上、武術を教えることになり3年、26歳になります。
賭場経営(?)の團八、腕貫力蔵、帆柱伊之助は、アミガサをかぶった女性となにやらもめているところ、五郎兵衛が通りがかる。あっあなたは!
尾州の船場で助けたお峰は、五郎兵衛、淀屋辰五郎と再会。
辰五郎はお峰を世話して気立てや性格を見込んで養女とする。お峰は五郎兵衛に気がある様子で♡
淀屋辰五郎は、朝比奈その他に根回しを済ませ、最初はとやかくと言っていた五郎兵衛は漸く結婚の承諾に及び、お峰の恋心が叶い五郎兵衛とお峰は結婚したのでした♡
・植木屋サクセス
夫婦が自宅で過ごしていたある日、植木屋の多蔵が駆け込んできたっ。
(この辺りから話がちょっと駆け足になってきます)
玉造りの大阪城松平丹波守の屋敷の門に木を横倒しにしてしまったという。御城代様がお帰りだというのに、7~8人でかかっても木が動かなくて通行を塞いでしまい困っている。。。
怪力で木を動かしちゃう五郎兵衛!
城代松平丹波守は五郎兵衛の大力と礼儀作法から、以前は武士であろうと見抜き、訳を話せ、と伝えると(最上家主君が仕えた徳川家に褒められたと?)五郎兵衛の目から涙がこぼれます。
さまざま褒められた上に、褒美を用意しようと思ったが母の遺言で武士にならないなら仕方ない、子分が大勢いるなら費用も掛かるだろうと、大阪城代の人入稼業の用達を承りました!
公共工事を請け負ったってことだね!やることなかった子分の仕事が生まれたよね!やったね!
・武術サクセス
天満界隈で、順風満帆の五郎兵衛の悪口を言う浪人がいる。五郎兵衛は放っておけ、堪えろといったのに、、、子分は親分五郎兵衛の悪口を聞いて小競り合い、頭を殴られてしまいます。
五郎兵衛が子分たちの仕返しにと、行った場所は「柳生流剣術指南、荒木又右衛門吉村」
五郎兵衛は、柳生流は天下のお留流といってあたりまえの人間が教えることが出来ない流儀なので、山師の道場に違いない、と思いました。(ニセモノの道場だと思った)
会った先生は荒木又右衛門、目にもとまらぬ早業に、ホンモノだ!と驚く五郎兵衛。自分を門下に加えて欲しいと頼むと、その実力ですぐに快諾してもらえました。
荒木又右衛門吉村は、江戸で真剣白刃取りの術を教えなければならぬと、大阪の道場を喧嘩屋五郎兵衛は任されることになりました!
(展開は早いよ)
・相撲、どうなる?
兄貴分の朝比奈が、浮かない顔をして五郎兵衛に相談します。後水尾院の帝様が御病気御平癒のため、悪魔降伏怨的退散の四股を踏まれるので、相撲を催されるという。
東の大関は江戸より明石志賀之介が、西の大関は例の朝比奈が贔屓にしている仁王仁太夫と決まりました。が。
東の明石志賀之介には、夢の市兵衛、唐犬権兵衛、釣鐘彌左衛門など大勢の町奴が乗り込む様子。
西の仁王仁太夫もそれに負けないようにしたい!淀屋辰五郎に相談したら、金なら出すけどケンカは大嫌いと言われたから、五郎兵衛に力を貸して欲しいという。
浪花の侠客500余、東西よりドスを繰り出して、続きは「兒島之大仇討後の喧嘩屋」という演題です~というラストでした。