2025.10.25(作成日11/10) 茨城県の水戸に行ってきました~。水戸城二の丸展示館を見学してきました。入場無料。
水郡線で終点の水戸駅で途中下車。弘道館を見学した後、まだギリ開館中!と駆け込む二の丸展示館です。
・水戸城大手門
水戸マラソンで水戸学文化祭会場となっていました、水戸城の大手門をくぐって、(橋は結構高さがある!下は道路です)
・彰考館
水戸黄門でおなじみの徳川光圀さんが着手した歴史書「大日本史」を作った場所「彰考館」の跡地を通ります。今は、水戸市立の中学校として利用されている!そんな歴史的な場所が中学校っていいね。
なになに・・・・。
全国から学者を集めての「大日本史」編さんは、藩の一大事業となり、学問や教育に力を注ぐ水戸藩の伝統は、この時から始まったといえる。
彰考館は最初江戸に置かれていたが、光圀の隠居後、水戸城二の丸にも置かれ、幕末まで編さん事業が進められた。
明治維新後も、「大日本史」の編さんは、徳川家の事業として継続され、偕楽園南隅へ移転した彰考館において、明治39(1906)年に完成した、
とありました。
・水戸城二の丸展示館
水戸城二の丸展示館で、水戸を学びます~。小さめの展示館です。お手洗いは隣の建物、終わり間際は閉まっちゃってた(^^;)
第2代藩主 徳川光圀
徳川光圀は、水戸藩の第2代藩主。人格者だったみたいです。
僻地の人も薬が手に入るようにと、レシピ本を作ったり。日本にも歴史書が必要だと、作成着手したり。
前回も書いたけど、放蕩息子だった光圀さん、18歳で中国の歴史書「史記」の兄妹が家督を譲り合う内容に感銘を受けて態度を入れ替え、日本にも歴史書が必要!と考えて「大日本史」の作成を考えたそうです。
第9代藩主 徳川斉昭
徳川斉昭は、水戸藩の第9代藩主。改革者というイメージを持ちました。教育に対する水戸の人たちの理解が得られる素養があったのかもね。
藩が決めたからしょうがなく従っていただけかもだけど。
弘道館は日本最大の藩校で、水戸は教育遺産という誇りがあるのいいね~。
・水戸学
水戸学、があります。
なになに・・・・。水戸学は、江戸時代の水戸藩において、儒教を基礎に国学や神道、洋楽の成果も取り入れて成立したと考えられいたそうです。
水戸藩においては、儒教や国学の他、洋楽や医学など幅広い分野の学問が発達し、城下だけでなく農村部においても私塾や寺子屋(手習宿)が数多く開かれていた、とあります。
私塾は授業料がいるし、子供を学校に通わせる余力がある農民(豪農?)や商人などがいたということでしょうか。水戸には儲かる産業があったのかも~。
尊王攘夷論は水戸から
江戸後期、第9代藩主徳川斉昭らが全国的な規模で改革を断行し、国の威信を海外に示すため、天皇を敬う「尊王」と外国勢と対峙する「攘夷」が必要である「尊王攘夷」論を示しました、と続いてます。
実践的で、かつ藩を超えて国家的視野から諸問題に対処しようとした点に特徴があり、吉田松陰や西郷隆盛をはじめとした多くの幕末志士に多大な影響を与え、明治維新の原動力となりました。また、明治以降も近代日本の国家形成に大きな役割を果たしました。
とありました。みんななかよく~は出来なかった、内戦がおこり、たくさんの犠牲がありました。
天狗党
水戸天狗党も徳川斉昭(烈公)はじまりでした。色んな考えがあっていいと思うし、利権の取り合いの時代的にそんなこと言ってられないのかもだけど、暴徒化しちゃったのが残念でした・・・・。
天狗党の人が赤澤鉱山(日立鉱山)を燃やしちゃってさ(´;ω;`)ウゥゥ

他の人もだけど、どんなに怒っても燃やすのやめてね。
・年表で佐竹さん発見
年表も写真撮ってきました。
あっ佐竹さんだ!赤沢銅山を見つけたとされる佐竹義宣さん。佐竹藩、水戸にもいたときがあったのですね。
1590年に佐竹義宣が水戸城を攻略、とあります。太田から水戸城へ移り、義宣、南方三十三館の主を謀殺する、とあります。謀殺?悪いな~。まさか宴会だと呼んでおいて丸腰の相手に攻撃したとか?
1602年に佐竹義宣、秋田へ移封される、とあります。
徳川家康の第5子の武田信吉が水戸へ就封(15万石)。残念ながら翌年に水戸で病死してしまい、家康の第10子徳川頼将(のち頼宜。紀伊徳川の前に水戸だったのね)、水戸に就封したのでした。
1609年に徳川頼将に代わり、家康の第11子徳川頼房、水戸に就封(25万石)。
翌年、伊奈忠次が千波湖の水害防止と田畑用水のため水路を掘る。。。。と水戸の歴史は続きます。
・弘道館と偕楽園のアニメ
二の丸展示館にはトイレ休憩を兼ねて寄りました、飲み物の自販機があるし、アニメが流れていて長椅子が空いていれば座って見れます。小さい記念スタンプもあります♡
アニメは、令和の現代の小学生が、弘道館で剣道をしていると江戸時代にタイムトリップ!という弘道館と偕楽園をベースにした徳川斉昭のことが分かる話になってます。面白かった~。
・帰路へ
二の丸展示館を出て安積澹泊(あさか たんぱく)の像方面に行くと水戸城跡地なのだけど、雨と時間が気になるので今回は見送り。
※安積澹泊は、大日本史も手掛けた水戸藩市で儒教者だそうです。水戸を代表する学者さん。
帰りは、大手門脇の階段を下り、城壁沿いの道路をテクテク歩きました。
水戸城二の丸の角櫓(すみやぐら)を遠目に見て、水戸駅から自宅へ帰ります~。
水戸の人は親切で、観光地も場所も展示も分かりやすいし、楽しかった!まだまだ見るところがたくさんありそう。県立図書館も入りたかったな。
水戸駅前でお土産に梅のお菓子を買って帰りました、美味しかった♪
水戸は都会だから、商業ビル内に観光客のランチで水戸っぽいのなかったです。リサーチが甘かった?
やはり水戸は、駅構内の立ち食い蕎麦・納豆そば一択です!









