鉱山考!鉱山の娯楽 

2025.12. 活動写真を見て、鉱山の娯楽の事を思い出しました。

活動写真(サイレント映画)の記事はこちら→ https://mina-office.com/2025/12/14/katsudou-shasshin/

・山本作兵衛さんの炭鉱の娯楽

炭鉱の山本作兵衛さんの炭鉱のくらしを回顧する本に炭鉱の娯楽の記載があり、

浪曲師や活動弁士(の前身のような方)が炭鉱現場に来てくれて珍しいから見に行った、とありました。映像ではなくて、絵だったみたいでした。大人向けの紙芝居。

(山本作兵衛さんは、明治30年代後半から、昭和30年くらいまで福岡県の炭鉱で働いていた方です)

・鉱山の娯楽施設 劇場

明治40年代以降、鉱業は芝居小屋を作り、お金を払って旅芝居をまるっと山奥の鉱山に呼び、来てもらっていたみたいです。愛媛県の別子銅山の山奥にロープウェイに荷物を載せて来たというんだからね!

日立鉱山に観劇部的なものや、足尾に禁酒会があったりしました。お酒呑まずに、観劇しよう、というスローガンです。(貯蓄会もあった笑)鉱山と劇場は時代的に深く関係があって、麻生炭鉱の嘉穂劇場や、小坂鉱山の秋田康楽館はいまだに存在しています~。明治生まれの劇場です!

かつて、鉱山のある劇場でも、「槍供養」が演じられたかなぁ!と思うとワクワクする!

・小さめ鉱山の娯楽は?

そんな立派な劇場がある勝ち組の鉱山は少なかったと思いますが、

小さな炭鉱にも娯楽のためなのか、芸人が営業で地方巡業に来ていたのか(鉱山夫は給料は高くて、閉鎖された場所で使うところがないから、芸人が巡業に来ればチップが多かったとか?)、

山本作兵衛さんが働く炭鉱に、活動弁士の前身らしき方が来て、紙芝居みたいなことをやってたみたいです。

そういえば四国の四阪島に浪曲師を招いた、とありました。西表島の炭鉱にも娯楽があればいいと公務員が書いてました。

閉鎖気味な場所に、流行の娯楽があれば、飲酒やケンカが減るだろう、だったみたいです。

・映画館に舞台が残った理由

日本に映画が入ってきたその流れを汲み、歌舞伎や旅芝居が公演されていた劇場は、芝居から無声映画に変わっていったかもしれないです。

単純に思えば、映像に代替えすれば人材や衣装や装置など、かなりリソースが減らせるから低コストで公演が増やせるね。

無声映画には活動弁士のトークや演奏スペースが必要だったから、舞台が残った、という意見を見ました。なるほどね。

日本人は話芸が好きな傾向があるらしく、口演がメインで映像はサブだったみたいです。

炭鉱で栄えた北海道の夕張のまちは、映画推し!だったのを思い出します。楽しかった、懐かしいなぁ。

・舞台か、映像や録音か

観客は話題の映画を見に行き、芝居を見にいく客は減った。映画はテレビの普及化で映画の観客は減り、テレビ視聴者はインターネットに流れているけれど。

それでも、舞台の迫力に代替えは無いと思います。

活動写真を見ていても、目の前で弁士が語っているからいい。知らない観客同士で時間を共有しているのがいい。

私は舞台で浪曲を初めて聞いて、NHKラジオでも浪曲があると知ってからたまに聞いてます~。後からラジオだけど、やっぱり生で見て聴くのと、ラジオで聞くのとでは全然違います。

NHK聞き逃しラジオで浪曲をBGMで流すからその存在を忘れないという作用はあるので、ラジオの浪曲は、聴客のグリップ(つなぎ留め)にはなっているように思います。

・国会で「炭鉱の記憶」の話題が出た

関係ないけど、今日(確か2025年12月16日)、偶然にテレビを付けたら国会中継をやっていて、「炭鉱の記憶の山本作兵衛さんの○○が多摩市の表札の後ろから出てきたので、ユネスコ無形文化遺産に追加しようよ」、と議員さん(確か公明党)が言ってまして、

文部科学省の大臣(自民党)が「事務の締め切りがあるから間に合うか分からないけど、イイかもね」とのことでした。

山本作兵衛さんて、私は知らなかったけど、有名な方だったんだなぁ!

鉱山考、まだ続けるぞ!オーッ!

投稿者: 小野寺 美奈

税理士。農業経営アドバイザー試験合格者。認定経営革新等支援機関。 川崎市・東京多摩地方を中心にした、地域密着・現場主義。 税務の記事はご自身で税法を確認されるか個別に有料相談に来てくださいね。