2025.12.20 東京千代田区の日比谷図書文化館の特別展示で、川上音二郎さんの展示がありました。
本筋とズレちゃうから、別途、ここに書きました~。
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・川上音二郎さんという人物
明治時代の新派俳優。のちに新派演劇の興行師として発展の基礎を築いた、という説明も見かけます。
川上音二郎さんという方は、もともとは自由民権運動系の「民権思想を啓蒙した」方なのだそう。
過去記事:演劇の近代史と検閲 → https://mina-office.com/2025/11/09/engeki-rekishi-kenetsu/
日本立憲政党新聞の発起人となり何度か投獄され、言質取り締まりに反抗してたので演説が禁止された。その後、講釈師になり、落語家になり、歌舞伎一座に入り、1888年にオッペケペ節がウケて有名になったそう。演劇の革命を起こした方ですが、民衆に民権の事を語りたかった方なのだと思います。
川上音二郎さんは、売れっ子芸者の貞さんと結婚してそれが縁で伊藤博文と知り合いになり、外国での公演でアタって、帰国して川上座を立ち上げる。
その後、川上音二郎さんは議員選挙に出馬するも落選。当初からのプロパガンダ劇(壮士芝居など呼ばれるようですが)をしたかった方のようでした。その後は、子供向けの童話劇を子供たちに無料招待したり、女優育成に力を注いだりされた。
・既得権益をバッサリ!神田の川上座
日比谷図書文化館の特別展示に、川上音二郎さんが作った大劇場「川上座」は明治29年6月14日に落成式があり、7月2日に初興行だったようです。
その際におそらく配布された、「観客様に告く」の冊子が展示されてました。
・席の価格差は接客に無関係
今もだけど、当時から芝居の客席は、SS席は価格が高くB席は安いなど金額の違いがあったようです。
川上座も、席による価格の差はあるけれども、観客には公平に接します、お粗末があればスタッフ経由で事務所にクレーム出してください、と読みました。(明治の言葉だから読み方に自信がない;)
・観客から追加料金とりたくない?
茶屋や出方は観客の自由に選んでください、という読み方でいいのかな。
川上音二郎の台頭する以前から、劇場と出入り業者(弁当屋さんなど)の独占があったようです。
現在でもその傾向は残っているけれど、持ち込み禁止で飲み物は劇場で買ってくださいという劇場はあります。こういうものだと思ってる(^^;)昭和時代は、外で買えば100円の缶コーラが劇場では200円などが普通でした。
川上さんはそれを改革したかったのでした。けれど、従来のやり方を変えようとしたことで、既存の茶屋・出方さんとモメたみたいです。
この頃の劇場の常識では、観客に対して劇場が、下足料などの名目で入場料以外に追加料金がかかっていたようです。
令和時代の今もまちの芝居小屋によっては座布団代金100円、座椅子レンタル代金100円などあります。(借りなくてもいい)
川上音二郎さんは、それも嫌だったみたいです。観客の負担が大きいほどの金額の程度の問題だったのかな。庶民から役者への反感もあったようです。(庶民から取って贅沢している、のような)
それとも、川上音二郎さんの民権思想に反していたのかな。
・提携先の人力車、事前手配
川北座と提携している車屋を使う方は”人力車賃金定価外或は御酒代等として貪り候所・・・・(漢字が読めなかった(-_-;))”とありました。
川上座座付きの人力車が定価以外のお金を請求してきたら、川上座スタッフに人力車の番号をお知らせください、という意味ですよね。( ゚Д゚)
事前払いのタクシー手配の上、提携先の人力車が観客から割増料金をもらうのを禁じたのだと思います。
・観客は観覧料だけで
川上座は、お客様のご厚意の有無に係わらず、お茶代、ご祝儀、手数料は受け取りません、とあります。
観客が観覧料だけで芝居を見てください、ほかの料金はかからないようにしたかったのかな、と思いました。
川上音二郎、1903年には、本郷座で上演時間を短くして(午後5時半から午後10時)にして入場料を1/3にする劇場改革を行った、と前述でリンクを貼った演劇史に書いてありました。
私は現代の普通の観客だから、芝居や講談浪曲で観覧料しか払わないのが普通だと思っているけれども、
当時は観客には入場料の他にプラスの料金がかかっていたんだろうな、と思います。講談の演目で観劇に行って多額の祝儀を用意するシーンを聞いたし。
・川上座は資金繰り悪化で、、、
川上座は2年くらいで人手に渡ってしまったので、
少なくとも、芝居が良いからとか、お金持ちの観客からのチップをもらえば、川上座がもうちょっと続いたのかな(;^_^A・・・と思いましたが、
劇場の不入りが続いたようなので、茶屋さんに嫌われたり、金持ちの観客から可愛げがないと思われたりしたのかしら。単純に、思想が強めで芝居が面白くなかったのかもしれず。
経済力で演劇を左右されたくなかった、という理由なら演劇人としてカッコイイけれど、
川上音二郎さんは民権系の演説したい方だったわけで、何となく自分の劇場だから自分の好きにしたい想いが先行して、観客おいてけぼりで刺さらなかったのかも?
・・・成功を期待して、やってみたいんよ。情熱があるのがスタートアップの特徴だと思います。理屈じゃないんだ。(けど、スタッフや家族がいるんだから経営のバランスをとって資金繰り大事よ・・・)
妻で女優の貞奴さんのパンフレットが展示されてました。
・出身地は博多
川上音二郎さん、今回の記事を書くために追加でインターネット検索していて、博多出身と知りました。
博多、研修で去年(令和6年10月)行ったよ!
博多市博物館、櫛田神社や博多座で、覚えていないけれど目にしていたのかもしれない。
そうか~。東京都千代田区の特別展示で会うとはね!

