いきなり小笠原諸島の土地の歴史を、ウィキペディアと小笠原観光協会から学ぶ。
むかしむかし。江戸時代に小笠原さんという人が「島見つけた!俺の祖先が見つけたから、俺の島」と江戸幕府に伝えたけど、スルーされて嘘つき呼ばわりされてしまった。
それから、小笠原諸島という名前が付いたらしい。嘘つき呼ばわりしたのに、苗字が諸島の名前になるという不思議な現象が起こるという。島々には、父・兄・弟・母・姉・妹・嫁などの島の名前がついていてヘンテコで面白い。
江戸時代らへんの時代、小笠原諸島は、ほぼ無人島でたまに通りかかりの船が休む島だったみたい。「俺の国の島だ!」という主張もゆるかった。欧米の人たちは、クジラをアブラ目的で捕まえていた時代があり、その休憩所にしてたみたいね。グーグルならぬフランスのアカデミー誌に小笠原諸島(ボニン諸島)が紹介されてから、来訪者が増えたみたいね。「地球の歩き方」みたいな紹介だったんだろうか。
小笠原(父島)最初に定住したのは日本人ではなく欧米系の島民だった。どの国に属していたのか、よく分からないね。ペリーも寄港したよ!
その後、明治9年(1876)に日本が領有権を主張して、島ゲット。
昭和2年(1927)には、昭和天皇・皇后が行幸。(平成6年には今上天皇・皇后も行幸)
戦時中、小笠原諸島は、硫黄島が戦争に巻き込まれてしまった。そのころ、父島は地形のせいもあって地上戦にはならなかったものの、空襲があったり船から攻撃されたりして戦禍があったらしい。
昭和19年(1944)には、島民が本土へ強制疎開するように言われ、故郷を離れることになった。
後のアメリカ大統領になる、ブッシュ元大統領も父島無電塔爆撃の時に雷撃機に乗っていたらしく、日本軍に撃墜された。アメリカ軍に救助されたらしい。
島民を疎開させ、ほぼ軍隊のみの小笠原父島時代には、好ましくない混乱の時代があったみたい。
戦争が終わったら、小笠原諸島は、沖縄のようにアメリカになっちゃった。
その後、昭和43年(1968)に小笠原諸島は日本に返還された。沖縄返還は昭和47年だから、ちょっと小笠原諸島が先輩だね。
29.7現在、民間人が暮らしているのは父島と母島のみ。遊びに行けるよ!
硫黄島には、自衛隊の基地などがあるみたいで、船から観察できるツアーがたまにあるものの、上陸はできない様子。
小笠原諸島は、ほぼ無人島から日本の領土になって70年間経過後、今度はアメリカ領土として23年間、再び日本の領土になった。平成30年(2018)には、小笠原返還50周年になる。
純粋な話、住まいって安定してないと困るよね。商売が出来ない。食うに困るじゃん。私の街 登戸の区画整理も農地の転用問題も小笠原諸島・沖縄返還も、私には同じに見えるよ。
国が、国民の昨日と変わりない生活を奪うことができるのか。では、国とは誰なんだ。
・・・という訳で、土地の権利関係が難しいことになっている小笠原諸島、父島へ行ってきますよ。社会貢献の一環として法律税務相談員として行くので、出張だからね!
片道24時間の船旅だって。マジか。大丈夫なの??
(関連過去記事)戦争を考える → https://mina-office.com/2017/03/22/war/
(関連過去記事)陸軍登戸研究所 → https://mina-office.com/2017/03/20/noborito-kenkyujo-mae/