31.4.28 教育テレビで70年安保闘争のドキュメント番組を見た~。
私は思う・手段(暴力という行為)は悪かったけれども、考え方は悪くなかったという意見にそうだな~と思うわ。
1、目的に固執すると暴力に繋がる
議論を許さない組織は、暴力的になってしまうんだ。
目的に固執すると、暴力的になってしまうんだ。自分がそうならない保証はないことを自覚しないといけないよね。
信念をもつことを悪いことではないけど、それに固執すると他人をないがしろにしてしまうんだ。実現しなくても議論を深めるという過程を重視するべきだ!
2、学生運動って本当にあったんですか?
学生運動の昔の映像って映画みたいだよね?あんなにたくさんの学生が旗を持って行進してるけど、運動会にしか見えないよね?
本当に、学生と機動隊でやりあっていたの??なんか、外国の話しみたい。
投石したら相手が痛いし、叩いたら相手が可哀想なのに、大学生という一定以上の知的レベルがある人達がなぜ、という疑問があった。
3、元過激派さんの回顧録
取材に応じた元過激派の人たちはこんな風に言った。
「当時はベトナム戦争があり、日本が基地を提供してベトナムの人々が殺されているのを知り、自分はこのまま何もしなくていいのかと思った。何もしないことが、ベトナムの人々を殺害する手助けしているように思った。行為について反省している。しかし、その思想は正しかったと今でも思っている」
「親戚に言われた。”お前は国を良くしようとか世界を良くしようと思っているが、お前の家族をひとりでも幸せにしているか”自分はそれを聞いて、その通りだと思い、自分の家族の幸せを追求していこうと考えを改めた」
「仲間が死ぬのを見て、彼らの分も俺がやらないとと思った。後悔することは死んだ仲間に対して申し訳ないから、俺はただ耐えるだけだ」
わたしには、その沸いてくる使命感みたいなものが皮膚感覚で理解できない。でも、根本の思想のようなものは共感できるんだなぁ。
4、他人と話して何がうまれるの
世代的な常識があって、「仲間を集めてなにかをしよう」という発想が私にはないが、60代以上の人にはそういう発想をする人が多いよね。学生運動の社会背景があるからかしら?
局長のフジシロさんもそう言っていた。ただ、多数決という話かと思っていたけれども、だんだんそういうことではないのかもしれないと思ってきた。
もし、多数の仲間で意見を寄せ集めて行けば、もっとよい意見が出るのではないか?
そういう素地が人間に備わっているのかどうかはともかく。
5、沈黙は金とは
過激派の人たちは、普通の学生さんだったんだよ。仲間が運動に傾いて行って、思想そのものに共感できるが故に抜けられなくなっちゃった。
その場にいると、反対意見を言えないようになってくるんだ。
私も分かる、税理士会ではうっかり意見を言うと怒られたし。
仲間うちであっても、無知が故の意見だとみんなの迷惑だと思うと黙るようになる。他の人の時間を奪うかもしれないと思うと、遠慮も必要だし、とか思ってくると段々無関心こそ善という気持ちになってくるよね。
議論は少人数がベストなのだけれども、一部の人たちが物事を決めていいのかという迷いもある。
日産の株主総会では西川社長が「当時はそれがおかしいと思わなかったし意見をするということすら思いつかなかった」と弁明していた。きっと、そうなんだろう。
過激派の人たちは、「そんなことしたら死んでしまう」と思いつつ、”総括”という名のリンチを誰も止められなかった。それが運動に必要であると言われていたから、一抹の疑問を持っても信じてしまったんだろうか。
黙っていたことの罪という存在を考える。
沈黙は金とは、ただ黙っていることが良いという意味ではない。
6、雄弁は銀
わたしは議論の自由がある方がいいと思う。
登戸の区画整理関連の傍聴では、結果は出ないと分かっていても、発言することの大切さを思った。
議論を尽くせば、いつまでも物事が決まらない。ある程度で決めてしまえば、物事が良くならずに中途半端な世界が続くことになる。
それでも、あなたの意見を聞くことを、わたしは望む。