情報過多の弊害

2019.8 情報量が多すぎて処理が追い付いてない。

ところで、情報に価値がある時代が続くのか?プラットフォーム業者への情報独占の時代の終焉、情報売買に対する批判。時代が変わってきている。

・ヒトの容量不足

人にはキャパシティがあるんだと思うんだ。

例えば、コップには「入る水分量」に上限があるよね。溢れた部分はコップの中に残らない。

ふと、人間にはアタマに入る情報量が決まっていて、それを超えるとピーッ!となって速度が遅くなるのではないか?

わたしはアレもコレも覚えておきたいし、備えておきたいし、理解しておきたい。いつか、どなたかの役に立つ情報かもしれないから、多くの事柄に触れておきたいし、記事に書き留めておきたいって思う。

そして、それやりだしたら時間が全然足りなくなり。

基礎的な勉強をする時間が足りなくなってきちゃうよね?

・ツールslackの活用

どうしたら、覚えておけるんだろうと思って、この頃はチャットツールのslackを利用しています!

これがなかなか便利よ。問題点、課題点は使ってみてから出てくるんだけど、スレッドが作れるので、「Aセミナー」「B勉強会」みたいに分けて整理できるの。

複数人での情報共有も可能。一人ぼっちスレッドにメモを投稿も可能。データも貼れる。LINEのPC版て感じかな。スマホアプリもある。

情報過多の時代、こうやってデータ整理をしていかないと分からなくなっちゃうよね?

そして、何を残しておくべきか、何を伝えておくべきかという選別に私は苦慮している。

膨大な情報の中、相手に知っておいてもらうべき情報の選別は、相手のことをよく知っておかないとならぬように思うんだけども。

頭のイイ人は、「みんなにこれだけ伝えておけばいい」という選別が自動で出来るのだろうか?

例えば、消費税の納税義務や簡易課税、軽減税率のルールはどこまでお知らせすべきなのかな~って思う時あるんだよ。すべてを伝えるのは、時間的に難しいのでは?「自分で調べれば」はあんまりにも冷たいんじゃないですかね・・・・。

・情報量が増えすぎ!

どれだけ勉強をしても知らないことが増えていく。10年前とは必要とされる情報量が違うでしょう。

なんかみんなギスギスしているのは、情報量が増えたからでは?

シンプルな時代に戻れないかしら。こんなに、情報って必要ですか。

情報を独占していることが問題視され、集めた情報の売却が問題視され。けど、これだけ情報の価値が高いのは、利用する側にメリットがあるからでしょう?

これまで、ターゲティング広告が有効だったけれども、これからは「なんかイヤ」な人が増えてくるよね。そうすると、広告が逆効果になったりする。

・温度差を埋めるのはヒト

むかし、本能的に判断して人付き合いや商売をしていた。今、情報過多で権利を主張する人が増えて、それを回避するために知識の多さコンテストみたいになっちゃってる。

わたしたちは、暑いか寒いかを数字で判断するようになった。

ちょっとした相手の暑そうな・寒そうなしぐさに鈍感になっている気がする。

そして、その鈍感さが「自分が大事にされていない感」を与えてしまっている。

些細な事でトラブルになり権利がどうのこうのとなる。

トラブル回避のために、理論武装や責任回避のために準備時間が取られている。

こうして相手にかける時間が減り、人間同士の温度差が広がっているように思えて。

ただ、「暑いですか?」「寒いですか?」と聞けば、温度差は縮まるのにね。

もしかしたら、もう、そういう時代ではないのだろうか。相手への温度感など、時代遅れなのでしょうか。そう思う時がある。人付き合いが評価されない時代?有益な情報はグーグルが教えてくれてたから。

今、データで自分が判断されることに飽きてきている世界がやってきた。

もう、情報に頼る時代は終わりに近づいていき、「情報+ヒトのチカラ」の時代になってきたんだね。

投稿者: 小野寺 美奈

税理士。農業経営アドバイザー試験合格者。認定経営革新等支援機関。相続診断士。FP。 川崎市・東京多摩地方を中心にした、地域密着・現場主義。 税務の記事はご自身で税法を確認されるか個別に有料相談に来てくださいね。