2022.1.28 祝賀会の運営会議で。
「会ったこともない、来るかどうかも分からない、仲間になるかどうかも分からない人に対して、リスクを抱えて、なぜそこまでしたいのか」
そう言った時、ウェブ越しのみんなの表情が曇った。
自分の発言直後の空気の重さ。
半年も前から見聞きしていた、企画運営側のウェブ会議での発言が右耳から再生され、メール文章のやりとりが脳内で高速早送りされた。
コロナが怖いから会場には行きたくありません、と私は言った。彼らの半年間の蓄積を偲んだ。
自分自身とクライアント・家族の、精神的安全と身体的安全を優先した。
仕方が無い、みんなは分かってくれた、責める人はいなかった、私にとって正しい判断だった。そう思っても。私の心の澱はその後、いつまでも沈殿しなかった。
祝賀会の3日前、組織は会場から使用辞退を促され、会場開催不可能となりウェブ開催に急遽変更を余儀なくされた。会場参加を土壇場で断った私の心の澱は、非情にも少し沈殿した。
ウェブ開催に決まったとき、私は彼らが可哀想だと思った。せっかく企画して準備してやっとの思いが、実現されない。
どうして、会ったこともない他人のためにそんなにしたいのですか?自分がされて嬉しかったから?”恩送り”の表現は人それぞれなのだろう。
明日は、”私”が楽しいと思うことをしようと思う。それで、「小野寺がパネラーして楽しそうだったから、(会場開催が実現しなくとも)企画運営して良かった」と仲間の気持ちが晴れればいいなと願う。
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そんなことがあって、急に、小学生の時に逆上がりのテストがあったことを思い出して。
私は運動が苦手で、、、
鉄棒の逆上がり、できないんだよ。。。なのに、クラスで逆上がりのテストをするという。太っちょのコは割と出来ないんだから、逆上がりのテストなんかやめれ!見せしめか!(はい、そうです)
テストの前に一人ずつ、逆上がりをしてもらいます、と先生が言い、防災訓練が始まってくれ、シェンロン!という私の願いも虚しく、私の順番になり、無様をさらす・・・・。「え。。。逆上がり出来ないのかよ!」と男子から冷やかされる。出来ないんだよ、出来ないの!
私と太っちょのヒロエちゃんとで、放課後に特訓することになりました。
クラスの友達が教えてあげるよと言い、放課後の何時間も、何日も鉄棒の前で体育座りをして特訓が始まります。。。。
毎回できない私の逆上がりにああでもない・こうでもないと研究が始まり。
友達が見本で逆上がりをしてをみせてくれて。アドバイスをしてくれる。
「逆上がりなんか練習しなくっても簡単だよ、見てなよ!」と言われるという・・・・ぐぐぐ。こないだ、国語なんか勉強しなくても簡単だよ、と言った仕返しかもしれぬ・・・・。
太っちょのヒロエちゃんが先に逆上がりが出来るようになり!おお!おめでとう!
・・・・こうしてクラスの女子で逆上がりが出来ないのは、私だけになりました。トホホ。
もう少しだから出来るよ、頑張れがんばれ、と(ヒロエちゃんまでもが)いつまでも応援してくれたことを思いだすなぁ。
クラスの逆上がりのテストの日、誰もが出来ないと思っていたであろうヒロエちゃんは逆上がりをしてみせて、男子から「おぉ・・・・」と静かな賞賛を受け、太っちょのヒロエちゃん嬉しそう。
そしてやっぱり私は逆上がりが出来なかった。無様でありました。サノくんが何か冷やかしを言い、クラスのみんなから笑われ。わたし、ちょっと泣いたかもしれんわ。
応援してくれていた友達がガッカリしていて、私は「せっかく特訓してくれたのに逆上がりが出来なくてごめんね」と言った。
その後、なんでか知らんけどしばらくは逆上がりの特訓が続いた。。。
結局、逆上がりはまぐれで2回出来ただけで、やっぱり逆上がりが出来るようにはならなかったよ。
鉄棒を見ると、「がんばれ、出来るよ」と声援を送ってくれた友達を思い出す。
ああそうか。私はガンバレと「言われる側」の役割なのかもしれないなぁ。