2024.10.23 福岡市博物館で資料本「防人」を購入して帰りました!
全14頁、500円。読みやすいです。
防人(さきもり)と聞くと、私はさだまさしさんの「防人の詩」が頭に浮かびます。山は死にますか、海は死にますか、の曲です。悲しく切ない曲調で、戦争映画の挿入曲で使われたとか?
「防人」は、教科書にも出て来ましたけど、忘れちゃって。学びなおし!
・防人について
飛鳥・奈良時代、7世紀~8世紀を通じて100年以上続く、関東の農民が兵士とした徴用された、とあります。
718年の古代の法令によると、辺境を守る兵のことを、防人と名付けたそうです。
朝鮮半島の覇権争いで、日本は百済の再興を期し、新羅と唐の連合軍に挑戦を挑んだ白村江の戦い(はくすきのえ。663年)に完敗。
一説によると、対馬・壱岐を通って朝鮮半島に3軍に分けて上陸する任那日本、2万7000の兵。前軍の東国軍はほぼ無傷で朝鮮半島に上陸したみたい。中軍の西国兵が壊滅的。後軍の北陸兵が白村江に到着した頃には争いは既に終わっていた、とあります。
それで、ほぼ無傷の前軍の東国兵が対馬・壱岐に留め置かれた経緯があって、北九州から遠~いのに関東の兵が防人をするようになった、との説を読みました。西国兵が激減しちゃったから・・・。
この後、北九州は侵略されそうになるので、防人の存在は大事でした。。。
誰も犠牲にならずに済む方法はないのかなぁ。今でも、世界では戦争があり、誰かの命が犠牲になっている。。。
・召集と防人中
関東から防人に召集された農民は、大阪の難波津まで約1か月をかけて自力・自腹で行くことに。その後、北九州の大宰府(当時は太ではなく大)へ向かう。
期間は3年間、交通費・移動中の食事は自腹、武器などの最低限の装備も自腹で持参だったと!家人と奴婢は同行させていいけど、妻はダメだったそうです。
奴婢!?
貧しい農民が徴兵されたわけではなく、多少の経済力がある男性が徴用されたようです。
防人ってなんとなく貧民が家族のために命と引き換えに、みたいなイメージがあったけど、違ってた時代があったかも。貧民が装備を揃えられないし、1か月かかる交通費と食事代を自腹にできないから・・・・。
防人に徴用中の家は、当時の過酷な税が免除されたみたいだけど、メインの働き手が3年もいなくなるから一家が滅んでしまうケースもあったみたいです。
防人の移動中は野宿だから、生きて集合場所に辿り着けずに死亡したケースもあったとか・・・・。悲惨だ。。。
防人の辺地での食糧は、畑とタネはあげるから自給自足で、というものだったみたいです。給料は・・・・ない、んだね、多分。
犠牲や苦労が多い防人。せめて、男ばっかりでワイワイ楽しく過ごしていた瞬間もあったと思いたい。。。
・拒否すればいい?
防人は、かなりみじめだった頃もあって、国司や軍の幹部は防人を不当にこき使い、悪徳官吏の儲けになっている、という指摘もあったそうです。ムムム!権威を笠にきた役人の悪行はこの時代からあった、という指摘がありました。
防人の召集された農民の反乱がなかったのか、と資料では考察していまして、そういう時代ではなかったのかも、との記載。そうかもね。
今の時代なら拒否すればいいのにとか反乱が起きそうなのに、など思うけど、時代が違うよねぇ~。
いつの時代も、弱い立場メシがある・・・・。今も、どこかで誰かが泣いているのかも。就職氷河期とか思い出すと、仕事辞めて転職すればいいのにとか簡単に思えない。
・九州に土着する防人も
3年の兵役の約束が守られていたかどうかは定かではないけど、兵役の後、地元に帰らずに九州に定住する防人もいたみたいです。
禁止されてたけど。九州で新しい家族を作って暮らした人もいたみたいです。
独身者はそれでも良かったかもね。地元で待ってる妻子がいる場合はどうだったんだろう。3年待って夫が帰ってこなかったら、亡くなったと想定して再婚したりしていたのかな。
血筋ってあんまり関係ないよね。東国から土着した人、中国大陸から土着した人、もともと九州の人が交流して地域の風習が残ったり変化したりして「地元」があるんだよなぁと思いました。
伝統って、大事にしたいし粗末にされたくない。ひたすら同じ形にこだわるべきものもあると思うけど、地元の人たちが残したり、部分的に変えてきたものでもいいかもしれないなぁ。
・万葉集の防人の歌
万葉集では防人の歌が多く残っていて、その考察も資料もありました。
防人の歌を万葉集に残したのは大友家持。
大伴家持は、今でいう防衛省の次官に相当する職についていて、就任1年目に防人の歌を採録した、とあります。その後、採録に飽きちゃったみたい。
江戸時代までスルーされていた万葉集の防人歌は、いつの頃からか戦意高揚、忠君愛国のキャンペーンで使われ昭和19年にはよく歌われたみたいです。
防人が集まった時に歌を歌う習慣があったらしく、当時の農民にそんな教養があったのか、という点についても検討がされていました。
当時の識字率は貴族層が3%ほどなのに、農民の防人が5・7・5で歌うもの?という疑問について、考察されていました。
忠誠心を歌ったものは、割と空気を呼んだ「やらされ」だったのかも。家族愛を歌ったものは飲み会の本音で出たものだったのかも。独身者もいたので。男女の愛を歌ったのは、酔っ払いのエロ話に近いものだったのかも。
雑多な歌のうち、大伴家持がイイと思ったものを書き留め・書き直して万葉集に残ったのかもしれません~。そんな感じで書いてありました。
・おわりに
防人について本で勉強して、外敵から守るために兵隊を置いたことが分かりました。
九州への侵略があったら、全土に及ぶから水際で食い止める、という考えも分かりました。
けど、先に上陸したのは任那日本だったわけで、隣国を助けるためとか防衛のためと言い出すとロシア・ウクライナもそうだけど戦争が終わらない。武力行使は悪いことと思うし、戦争だから失っていいという命はない。
防人の話に戻し、東国(関東・東北)は九州から遠いから、移動の労力を考えると全体的にはロスが多いのに・・・。
天武天皇が東国を信用していたからでは、といった考察があっただけど、あんまりしっくり来ませんでした。
西国より東国が従順だからとか東国の方が貧乏だからとかあったのかなぁ。地元の人が地元を守る方が自分事として頑張ると思うんだけどなぁ。
あまりにも昔の事なので、地元民が地元を守っていたことはあえて記録されていないだけかもしれないし、
軍国主義時代に都合がいいから、急に引っ張り出してきた防人の存在だったのかもしれない。
歴史って都合のいいことだけ残して、他は捨てちゃったりするから。多くの資料から事実確認が大事ですね!
現在も、政府からの周知をそのまま受け取って大丈夫な時と、裏があるときあるからね。便利になりますよ、と浸透させておいてハシゴを外すとかあるからね。
具体例は電子申告、電子納税、マイナンバーカード。電子帳簿や電子インボイスも怪しい。