メカデザイナーズサミット vol.5 レポート in稲城市立iプラザ

29.2.4 京王若葉台駅下車2分、稲城市立iプラザにて、「ぼくらのタイムボカンシリーズだペッチャ」 大河原邦男さん、笹川ひろしさん、布川郁司さん、五十嵐浩司さんらのトークショーを見に行く。

大河原さんが産んだロボ集結ハガキ。タダ貰い。飾るよ

大河原さんが作ってくれた稲城なしのすけがお出迎え。
稲城なしのすけは、大河原さんが生み出したガンダム・ザク・ハロ・ボトムズのスコープドック・ヤッターワンたちの兄弟ってことになる。まだ末っ子かもね。

(関連記事)京王若葉台駅 稲城市立iプラザ→https://mina-office.com/2017/02/04/wakabadaieki/

稲城市立iプラザ

アニメファンで埋め尽くされてるかと思いきや、認知度が低かったのか会場は60%~70%の入り。200人もいなかったかも。なんてもったいない!おかげで、ゆったり聞けたからよかった。

私は、子供の頃、学校から帰ってランドセルおろすのも忘れてテレビでタイムボカンシリーズを見てた。多分、再放送だね。

ガンダムはよく知らない。ボトムズは夫がファンなので、大人になってからキリコを知った。

タツノコプロは、吉田竜夫さんが作ったからタツノコなんだって。そんなことも知らない私でも楽しめた。ほんと、行ってよかったよ。

1.ファイナルファンタジーの天野さんの話

この程度なので、今回の出演者のみなさんのお名前をどなたも覚えてなかった。途中でお話に出てくる押井学さん(攻殻機動隊を書いた方)なども、あんまりぴんと来てない。タツノコには天野くんという天才がいて、というお話も聞いたけど、分からず。

後から検索したら、ファイナルファンタジーのキャラクターを作った有名な方だった。

当時は17時くらいに出勤してきて、タツノコプロの事務の方が「あの人、全然出勤してこないじゃないですか。クビにしましょう」と言い、社長が慌てて天野さんの能力を説明したのか、全力で止めた、という話があったらしい。

布川さんが、やっと天野さんをつかまえて、「天野君、明日の会議で使うから、コレお願い」というと、サラサラっと書いて、「ではこれで」って渡されちゃうらしい。「やっぱり天才は違うんだよ!」と感服したというエピソードを披露してくれた。

2.笹川さんのお話

本日出演の笹川さんは、見た目は普通の優しそうなおじさんで、ヤッターマンの総監督やってたとトーク中に知ってびっくりした!

笹川さんは、手塚治虫さんの一番目の専属アシスタントだったんだって。だから、アニメを始めたとき、分業制であったことなど少し戸惑いもあったみたい。

笹川さんの話も面白かった。

・笹川さんがボヤッキーのモデル説

質疑応答で、ファンの方から、

「ボヤッキーの『会津若松のハナちゃ~ん』というセリフがありましたが、ボヤッキーのモデルは笹川さんでしょうか?」

というgjな質問があった。

笹川さんは、会津若松の出身で、脚本家の方か声優さんのアドリブか分からないけど、上記のボヤッキーのセリフがあったみたい。少なくとも笹川さんの要請ではなかった。

笹「いろいろ考えると、僕がモデルなのかもしれません」とのこと。

その後、会津若松の方から、ボヤッキーをぜひ会津若松に!というお話があったらしい。その返答が、

笹「はぁそうですか・・・でもボヤッキーって泥棒ですよ・・・」(会場爆笑)

その他、権利関係で実現はしなかったみたいだけど、笹川さんは、会津若松の観光大使をされているみたい。そうだよね。大河原さんが稲城市民の名誉市民なように、笹川さんは会津若松の方々の誇りだよね。

会場では、ボヤッキーの画像が出て、うん、確かに笹川さんにヒゲを生やしたらボヤッキーだよ。性格は布川さんがモデルらしい。

・タイムボカンシリーズ 打合せの話

タイムボカンシリーズでは、関係各所が相模湖で集合し、予約もなく飛び込みで旅館に入って打ち合わせをしてたんだって。

予約なしで!?

電話もかかってこないから、丁度よかったみたい。

最初はみんなで、近所をぶらぶら散歩しながら関係ない話をするんだって。

宿に戻ると、夕食。ちょっとビールでも飲んじゃおうか。ちょっとなら。

満腹になったし、風呂でも入ろうか。

打合せどうした!!みたいになり、夜中12時頃から打合せがなんとなく始まる・・・ということがよくあったみたい。

笹「遊びみたいなもんでした。でも、散歩のときなんかに、実は色々思いついてるんです。一見無駄に見えるものもまた、大切なんです。チームプレイですから」

私はこのお話が一番印象深かった。深イイ!

効率ばかりを重視していないか。物事によっては、「遊び」「無駄」が必要なこともある。今の結果ばかりを追求しないで、将来を見越した利益を考えて行動することも大事だよね。

・タイムボカン メカブトンの誕生。ヤットデタ

タイムボカンシリーズでは、タイムマシンメカを毎回リリースしてたみたい。そうだっけ?あんまり覚えてないな。

今回は何にしよう、とうんうん唸っていた。

当時のタツノコプロでは、クーラーなんてないから(昔だから)窓なんか開けっぱなしだったんだって。だから虫がバンバン入ってくる。

蛍が入ってきたりしてたみたい。ステキね。

タイムマシンメカをどうしよう、と会議でなかなか決まらず、毎日考えていたところ、目の前にカブトムシが笹川さんのデスクに遊びに来た。これだ!と決まったみたい。

テントウムシもこのパターンみたいで、その後、イヌなど虫・動物シリーズに続いていったらしい。

その後、とうとうネタが尽き、提携していたおもちゃメーカー「タカトク」が実は言わぬが心待ちにしていた人間型メカを出すことにした。

当時はキャシャーンなどで人間型ロボがとても人気で、タイムボカンシリーズでも出してくれればおもちゃが売れるのに・・・というおもちゃ屋さんの思惑があった。でも、言わない。笹川さんも薄々分かってはいたみたい。

大河原さんへ打診したところ、既に構想があったらしく、速攻でアイデア(絵コンテ?ちょっと分からない)が出てきたとのこと。

当時のアイデアの絵が会場に映し出される。会場の空気がちょっと変わるね。誰も「おぉ・・・」とか言わないんだけど、私のような素人にもファンの感慨が伝わった。

笹川さんはその構想を持って、タカトクへ。絵と、組み立てた現物(?)も隠し持っていきプレゼン。その日に通ったみたい。待ってました、だったみたい。

ネーミングがなかなか決まらず、何日も連続して会議会議会議。笹川さんがポツリと、「やっとでた」と言い、「ヤットデタマン」になったんだって。

笹「もう、遊びですよ。そして、みんなで作るからいいんです。脚本家がいて、演出部があって、声優さんがいて。だから、誰が作ったとは言えないんですよ。みんなで作ったんです」

2.布川さんのお話

布川さんは、最初はアニメに興味がなかったらしい。(大河原さんも似たようなことを言っていた)

アニメなんて、当時は主流じゃなかったわけで、ナニソレ??って時代だったんでしょう。

めぐり合わせでタツノコプロに入り、しばらく活躍後、ピエロを作った。

・スタジオピエロの創設者

ピエロ?もしかして、スタジオピエロのこと??

後から夫に聞いたところ、そうだと。私が夢中になったピンプルパンプル パミポップンでおなじみ、クリーミーマミやペルシャを作ったのがこちらのおじさんだったとは・・・

変身のおもちゃを持ってる友達の家へ、遊びにいったなぁ・・・遠くのおばあちゃんに、クリスマスにねだって買ってもらったこともあったかも。

ピエロを作ったのは、布川さんが30代半ばころ。

タツノコからキースタッフを引き抜いてしまい、スミマセン。とタツノコ50周年で謝罪したらしく、大河原さんや笹川さんは、「こんなに長いこと気にかけていたなんて」と驚いたみたいだった。

布川さんは、明るく、社員旅行の手配などは布川さんがやってくれていたみたい。そこでこっそり引き抜いてたらしいけど(笑)

お話を聞いてると、笹川さんや大河原さんとは違う個性で、面白かったね。

・麻雀の話

布川さんは一時麻雀にはまったらしく、毎日毎日麻雀三昧だった日々があったんだって。うん、分かる。

笹川さん曰く、「重要な会議の後、4人いないんですよ。またあの4人がいない。と、心当たりのある雀荘に電話をかけると、いるわけです。こんなに毎日麻雀なんかやって、何が面白いのかと。」

布「笹川さんに珍しくお叱りを受けましたね、麻雀の時には」

笹「ボウリング大会の最中にも抜け出してね、僕はマージャンという言葉自体が嫌になりましたよ。会社を潰す気か、と僕はあまり怒らないのですが、一度だけ叱りました」

ま、そうだろうね。一般的な感想だよね。

笹「その後、ずーっと経ってから、とある縁で麻雀をやってみたら面白いこと面白いこと。毎日麻雀のことばかり考えていましたよ。ピンズが頭から離れない。随分負けましたが、それでも面白かった。あのとき、布川さんたちを叱ったけれど、こんなに面白いならどうして僕を誘ってくれなかったのかと」(会場爆笑)

麻雀の麻は麻薬の麻ですから、と布川さん。

なるほど、笹川さんはピンズ派なのね!

3.タイムボカンの話

タイムボカンは、珍しくヒーローよりも3悪役の方が人気があり、当初の予定を変更して、こちらを主体として毎シリーズ作っていたみたい。

おだて豚などは、笹川さんたち演出の思い付きなどで出来たらしく、ストーリーと全く関係ないのに入れちゃった。ただの遊びですよ、とのことだったけど、あれ、ほんと面白かったよ。

笹川さんたち制作の方々は、アテレコの時にはガラス越しに見に行き、声優さんたちのアドリブを楽しみにしていたみたい。

「全国の女子高生のみなさん」なんかも、声優さんのアドリブだったわけで、このようにみんなでちょっとずつ形を変えて、1つの作品を作り上げていた。

笹川さんは、手塚治虫先生の下にいたころにはこういうことは考えられなかったらしい。手塚先生は、全部を手塚先生が作り、アシスタントは本当にアシスタント。

一方タツノコプロは、分業制だったので、全てを自分が作成しないわけで。協力して作っていく面白さがあったと言ってたけれど、自分を殺さなければならない辛さも多かったのではないかな?笹川さんは、DNAが漫画家なんだ、と私は思った。

タツノコプロでは、4人の新人を迎えいれた。(その一人が押井学さんだったらしいが)4人の同期は、お互いに切磋琢磨して、どんどん成長していったらしい。布川さんが随分育ててあげたんだって。

タツノコでは、それぞれが監督をして試写会をし、後からみんなでどうのこうの言う、というのが定例だったみたい。

試写会で寝る人がいた。

寝る人がいる会は、つまらない烙印を押され、段々寝る人を買収する輩が出てきた、なんて冗談話(多少盛ってるみたいだけど)もあって面白かったね。

4.大河原さんの話

今回は大河原さんのトークは少なかった。当初から、「今回は僕の先輩が来てくれました。今日は先輩方の話を聞きたいと思います」とのことだったので、大河原さんのロボット作成話は、次回のお楽しみとなった。

大河原さんの人脈で、笹川さんと布川さんが来てくれたんだ。嬉しい。

5.映像披露もあり!

今回のトークショーでは、映像を映し出してくれるシーンもあった。

メカデザイナーズサミット

タイムボカンシリーズのオープニングとエンデイング。

ヤッターマンのオープニングとエンディング。

私は前の方にいたので、映像が粗いのがよく分かった。

私が、昭和の時代にランドセル背負ったままテレビにかぶりついて見ていた頃のままのように感じる。

今はでじたるりますたぁとかいうスゴイ技術で、画像がきれいになっちゃった。

時間が過ぎていく経過とともに、映像の保存状態も変化して劣化するでしょう。その劣化というか、歴史が見れたからとてもよかった。今は、なんでも見えすぎる。

オープニングやエンディングの映像で、あっ!笹川さんの名前でてた、吉田竜夫さんの名前出てた、布川さんの名前出てた、大河原さんの名前出てた、とか思いつつ、懐かしく見た。

口ずさむ人こそいなかったけど、私と同じく、観客はそれぞれ当時の自分を思い出してジーンとしたかな。きっと、したよね。

あの頃、大人って万能だと思ってた。アニメを一緒に見ないし。今、ヤッターマンの映像を見てワクワクする気持ちは、あの頃よりずっと強いね。

今回のトークについての観客の方のブログを発見。→http://blogs.yahoo.co.jp/t_s_ao/55701344.html

6.物販販売とお土産

会場の外では、稲城市のグッズ販売があった。

アイスとカレーパンが人気。稲城なしのすけの煎餅や、タオルなど販売してた。

ふるさと納税も受け付けていたよ!大河原先生のサイン入りピンバッチ(数量限定)の申し込みができた。1万円。

自分の自治体にふるさと納税をすると、返礼品を受け取れる自治体・返礼品をあげない自治体と両方あるみたい。稲城市は、返礼品を受け取れる自治体に該当。

稲城の魅力がいっぱいのパンフレットをくれて、隅々まで読んだ。面白いよ。

今回はちょっと興奮気味で色々書きすぎたので、稲城の魅力発見記事はまたの機会にしよう。

稲城長沼のザクを見に行かないと。

投稿者: 小野寺 美奈

税理士。農業経営アドバイザー試験合格者。認定経営革新等支援機関。相続診断士。FP。 川崎市・東京多摩地方を中心にした、地域密着・現場主義。 税務の記事はご自身で税法を確認されるか個別に有料相談に来てくださいね。

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