多摩川の黒歴史

30.7.8 ひょんなことから、川崎の多摩川について語る機会がありましたん。

・多摩川の流れ

多摩川は、東京都の奥多摩の湧水を母とし、川崎の工業地帯から海へと旅立つ「水の道」であり。

上流から、多摩川をレビューしてみましょう。

・源流は奥多摩

奥多摩ではゴツゴツ岩に隠れるようにイワナやヤマメ、アユが住んでいる。やつら、人見知りなんだよ。

渓谷を下り。

・日野市 中央線を通過

中央線の八王子から日野のあたりは、電車が多摩川を渡る陸橋があるよ。めっっちゃキレイだよ。

 

オレンジ色をモチーフの中央線が通る度に、陸橋はカタンガタンと歌い、中央線が呼応するように縦揺れ、車窓から緩やかなカーブを見せる多摩川、広々した河川敷き、川上の先に遠く広がる山々。

眼福眼福。

・梨園を通過

多摩川は日野市、稲城市を通り、海を目指す。この辺りでは、多摩川が梨の水として利用されているのかしらん。

登戸の梨園も、多摩川の水を農業用水で利用しているかしらん。

・水害と歩む多摩川

この辺りでは(うちの近所だけど)昭和49年には、狛江水害という出来事もあり、登戸の世田谷通りの陸橋(だったかな?)が川を塞き止めてしまい。自衛隊や警察がたくさん出てきて厳戒態勢、ダイナマイトを使って橋を爆破するも意味なく、といった出来事があったらしい。

九州・中国地方では、たいへんな豪雨が発生し。人的な被害が多く出てしまっている。テレビで洪水で水で家が埋まっている映像、土砂崩れの映像を見ると・・・。単なる悪夢で、目が覚めたらなんでもなかったと思いたい。

去年だったかな、鬼怒川も豪雨があった。・・・・。

・武蔵小杉近辺 多摩川黒歴史

多摩川の話に戻そう。

多摩川はさらに下流へ流れていく。

武蔵小杉のあたり以降は農家も減ってるのだろうか?

多摩川の黒歴史、川崎と言えば公害というイメージだけど、本当にその通りだった時代があったらしい。

東急の電車で多摩川を越えるとき、風が強いと川の泡が電車の窓についたそうなのだ。

川が、工業排水や生活排水で泡だらけになり、泳ぐなんてとんでもなかったらしい。

多摩川の魚なんて、誰も食べなかったんだろう。

多摩川はよく氾濫し、農作物を流してしまったみたい。

・川と人が同居するには

自然を神様とあがめている日本(だよね?)の風習は、地形と関係があるよね。

もう、ず~っと昔から、多摩川は氾濫して水害が起こってきた。今は、随分減ったんじゃないかな。

このように多摩川が川沿い住民と仲良く暮らすようになったノウハウは、他の地域で生かされて行けば良いよね。

けど、簡単にノウハウといっても、人の顔が違うみたいに、川の顔も違うんだろう。

自然と共存していくには、まだまだ工夫が必要なんだね。

投稿者: 小野寺 美奈

税理士。農業経営アドバイザー試験合格者。認定経営革新等支援機関。相続診断士。FP。 川崎市・東京多摩地方を中心にした、地域密着・現場主義。 税務の記事はご自身で税法を確認されるか個別に有料相談に来てくださいね。