2020.7.24 今週は命を考える週間かと思うようなニュースが続き。
俳優さんが自ら命を絶ったり、病気で苦しんでいた方がSNSで医師に”尊厳死”を依頼し応じたことが嘱託殺人と言われたり。
わたしには分かりません。
・尊厳死への視座
まず、該当者が自分なのか家族なのかそれ以外なのかで、”尊厳死”の意味って変わるんだよね。
該当者が自分なら。”尊厳死”を認めてよって思う。自分なら生き方を決めたいじゃん?「わたし」が自分で食べられなくなって話せなくなったら延命処置は断る、臓器は好きに使ってくれたらいいけど腎臓はポンコツだからやめといて、みたいな。
該当者が家族なら。”尊厳死”には慎重になるかもしれない。いなくなるのが悲しい、考えられない。もし、毎日のケアをするのが私以外の家族ならば、その家族に決定権があると思う。最も身近な家族が最も該当者の思いを知っているだろうから。
該当者が友達など家族以外であれば、直接の利害関係がないので、”尊厳死”はやめてよ、と思うかもしれない。「病気だからって可哀想」みたいな思いも、自分に精神的負担がないからそう思うんでしょう。
・家族の精神的負担
もし、身近な家族が該当者になった時、寄り添い続ける精神力があるのかな。ケアのために投じる時間的・身体的な負担ももちろんあるけども。
弱っていく該当者、反応のない該当者、本心が不明な該当者、自分が別れたくないというエゴだけで該当者を生かしている・苦しめているかもしれないという葛藤、時折心に生まれる”もういいんじゃないか”という想いを抱く罪悪感。
家族が抱える精神的負担てあるよね。遠くにいてケアできない苦しみもあるね。近くにいてケアする苦しみもあるね。ケアされる辛さもあるんでしょう。
なにが出来ることが”生きている”ということであるか。そういう定義って人それぞれだから正解がないよね。
・命の所有権
どこかの時点で、私の命は、私以外の誰かが支配することになるんだろう。
自分が選べば生まれて来れるわけではない。私は母親が出産し父親が届け出て戸籍という記録が作られたけど、私は誰のものだろうかと思うことがあるんだよ。
冬虫夏草て、最近知りまして。そうか、私の生命は自分のものではないのかもしれない。
私の意識がなくなれば、医者が「呼吸器つけときましょう」「胃にチューブをいれときましょう」って言うでしょ。医療行為だからです。日本で、「医療」が「命を見捨てる」ことはない。
日本中で起きていること、「食べられなくなりました、もういいです」と老母が言っても、娘が「先生、なんとかしてください」と言い、日本の医療技術で何とかなっちゃうんでしょ。老母の願いは娘の想いによって医療で黙殺されるけど。
老母も娘も医者も誰も悪くない。
医者が生命の所有権を持っている訳ではないのでしょう。そしてもし本人が生命の行方を決めても医者が罰せられるのであれば、医者はとりあえず生かしておくことを優先するのは当然なんだよね。
・心中に失敗した老夫婦
以前、ニュースで見た。
老夫婦がいて。病気に苦しんでいた妻が「お父さん、わたしもういいから」と言い、心中をした。心中は失敗し、夫が生き残ってしまった。裁判になった。老人の夫は「死刑にしてほしい」と頼んだ。裁判長は「生きて罪を償いなさい」と言い、実刑を言い渡した。そんなニュースだった。
そんな重い罪ってある?死なせてあげてよ、と私は思った。
夫婦の合意の下でも、心中に失敗したら「無理心中(相手の合意がなく行ったもの)」として罰が待っている。
辛くても生かしておけ?
・私の尊厳が死ぬとき
自分の命の行方って、自分に決定権がないのね。私の命の行方は、母か夫が決めていいよ。けど、裁判官や医者に”生存を強制させられる”のは抵抗がある。
私は、自分の意識がなく自分で食事が出来ず、回復の見込みがない時、もう私の命は死んだのだ、と思うわ。物事を拒否できなくなったら、生命は終わりだと思っている。
後は抜け殻というか血と皮膚が滅びるまで、排泄物を含めて人目に晒されるだけ。そんなの嫌だな。私には、尊厳死を認めて欲しいんだ。
でも、夫にはずっと生きててほしいんだ。わたし、ひとりぼっちになっちゃうから。
矛盾がある。そうなんだよ。立場が変わると尊厳死について意見が変わるんだ。
・死に寄り添える家族の幸せもある
死にゆく姿を見せること(懸命に生きる姿と言い換えてもいい)が美しいことは分かっている。死にゆく過程に寄り添えた方が、家族が死を受け入れやすくなるよね。後悔が減る分、家族の傷が癒えやすいことも分かる。
私は子供がいないので、自分の存在が夫以外の誰かの負担になっていると思いたくない。
今の私は、死ぬことが遠い未来であろうからそう思うのかもしれないけど・・・・。
人によって環境によって経験値によって、生死について考えることは様々で正解がないよね。
今の私は尊厳死に賛成票を投じる派ですが、さて。