政府税調 第15回 令和4年9月9日開催 SES学力格差・個人の自律支援

2022.9. 政府税制調査会 第15回 令和4年9月9日開催を視聴。

教育と社会保障の在り方について。

所得・資産等からみた社会環境の変化~家庭のSESによる学力格差~ 耳塚寛明 お茶の水女子大学名誉教授

社会保障の変容と新しい支援のかたち 早稲田大学法学学術院 菊池馨実教授

政府税調 → https://www.cao.go.jp/zei-cho/gijiroku/zeicho/2022/4zen15kai.html

委員からの意見 →

おのでらの意見 →

・家庭のSESによる学力格差

耳塚寛明 お茶の水女子大学名誉教授

https://www.cao.go.jp/zei-cho/content/4zen15kai1.pdf

おのでら:教育分野のSESとは、子供の家庭的背景を表す指標のことのようです。

貧困層に生まれた場合、高等教育を受ける割合が少ない。

世帯年収が低いと、テストの正答率が低く、非大学卒未満の生涯年収は大学卒以上と比較して低い。

おのでら:親の所得による機会の不平等をデータで突きつけられるという・・・・。知ってるけど。

家庭の社会経済的背景(SES)。

学力は、経済的な背景だけではなく、文化的な環境も重要である。しつけが違う。家庭内の話題も含め、文化的環境である。

家庭的な背景が学力と努力に直接な影響を及ぼす。

SESに次いで大きな影響を強い影響力があるのは、保護者の教育期待、だそうです。

家庭内や学習塾での学習時間、高い成果を上げている学校、保護者の意識や関与の度合いにより、SES(子供の環境)にかかわらず、学力アップになるらしいです。

ただ、SESが低い子供が3時間の学習時間=SESが高い子供が0時間学習時間。

おのでら:救いがないけれども、環境に恵まれない子供は3倍学習してやっと「なにも勉強しない恵まれた家の子供」に追いつくという平均値になる。

学力をもっとも規定する要因は、SES(家庭の社会経済的背景)である

学力格差は、社会問題である。

学校の取り組みによって、SESに無関係に学力を上げることはできる。

保護者の関与によるSESに無関係に学力を上げることはできる。幼少時に読み聞かせをすると学力は高くなる傾向にある。

学校が頑張れる環境を行政が作ることが重要だ。

おのでらは思う:勉強が好きじゃない子は無理に勉強しなくてもいいの。けど、貧乏な家の子がスタートラインに立てないことが可哀想なの。そういう子に食べ物と学ぶ機会を与えるために税金投入してほしい。一定の所得がある困ってない家の子に手当をあげても、格差拡大するだけなんです。

貧乏な家の子が毎日3時間を勉強に充てても、中流の家の勉強しない子に追いつけないデータには、残酷と思いつつ納得してしまう。そうだよなぁ~。

メリトクラシーmeritocracyと学力格差

• メリトクラシー(業績主義社会)は、公平な競争の結果である
限りにおいて、メリットに応じて富や地位が配分されることを
正当だと認める社会である

• しかしSESによって生じる学力格差は正当だろうか。SES
による学力格差は、親世代の格差が子世代へと再生産され、人
生のスタートラインにおいて機会が平等に開かれているわけで
はないことを端的に示している。誰にでも機会が開かれた競争
という、メリトクラシーを支える公正前提が、子どもの学力格
差によって突き崩されてしまう

• この意味で、SESによる学力格差は、放置されてよい現象で
はない

・社会保障の変容と新しい支援のかたち

0.25

菊池馨実 早稲田大学法学学術院教授

データに基づかない議論をする学者さんです。社会保障法をご専門とする法学者の先生です。資料は、他に参考資料があります。

https://www.cao.go.jp/zei-cho/content/4zen15kai2.pdf

社会の「溜め」

地域コミュニティの力が減少、自治会参加率の低下、自治体の危機感がある。

自助、互助共助、公助のうち、互助共助を再構築していくのがいい。

格差が固定化され、分断化されつつある社会の中で、人と人の関係性をつなぎなおす営みが必要ではないか…そうした政策的試みがなされつつあり、歴史的にも理論的にもそうした動きは必然といえるのではないか⇒社会保障法研究者からの本報告の主題

社会保険という連帯という仕組みを生み出した。ただ、入れない連帯になってしまっている。

給付のみで社会保障を行うのは限界がある。支援者と被支援者との関係を、相互の関係として一方的ではないものがよい。

社会保障は、個人の(人格的に)自律の支援を目的としている。憲法13条の幸福の追求という観点が重要と考えている。社会保障の通説は、「国民の社会保障」であり、憲法25条の生存権からの要請である。

(おのでら:菊池教授は、飢え死にしなければいい、という憲法25条の生存権からの社会保障ではなく、人の尊厳という観点から社会保障を考えて25年、という学者さんのようです。それいいね。分かる。今の時代にフィットすると思います。)

一律の給付だけではなく、個別アプローチがあるとよい。

(おのでら:本人の自律的な生き方を尊重できる、と考えているようです。)

→支え合う関係性を前提とした相談支援の仕組みづくりや地域づくりを通して、社会保障の理念としての相互扶助的な市民意識を再構築できないか・・・それこそが、(財政面とは別の意味で)社会保障の持続可能性を高める(社会関係資本を豊かにする)ことにつながる
・人には、他者との関係性の中で、自己の存在を確認し、肯定する(できる)ことで、主体的な生が引き出される面がある。主体性を引き出された人が、対等な関係性を基盤として、「支えられる」存在から、「支える」側にも立ち得る潜在的可能性を想定できる。
→こうした支え合う関係性を前提とした相談支援の仕組みづくりや地域づくりが必要

ひとりでは実現しえない、各々が支えあう関係性を前提とした地域づくりが必要だと考えている。

・孤独・孤立対策について。

貧困から孤立へと焦点が移行した。

生存権保障し衣食住だけでは足りなくなってきた、典型例が引きこもりで「関係性」を保障するべき(憲法13条)。

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投稿者: 小野寺 美奈

税理士。農業経営アドバイザー試験合格者。認定経営革新等支援機関。相続診断士。FP。 川崎市・東京多摩地方を中心にした、地域密着・現場主義。 税務の記事はご自身で税法を確認されるか個別に有料相談に来てくださいね。