秩父事件@百姓一揆から平和を考えるシリーズ

2020.8.16 秩父事件の勉強会に行ってきました~!東京都瑞穂町の郷土資料館にて。夫を連れていく。

結論:

生活困窮になると暴徒化しやすい。

自暴自棄にならないためには組織の監視は有効。(群集心理)

増税でもいいけど、公平性大事。(不公平には耐えられない)

重税で生活困窮は困るけど、使っちゃえば免税というのは不公平。(借入金チャラは理屈がおかしい)

平和はカネで買える。カネ次第で治安悪化する。

・「近世の百姓一揆と秩父事件」を聞きに

秩父事件は、明治17年(1884)10月、秩父の農民が政府に対して、負債の延納、減税などをもとめて起こした武装蜂起事件。だそうです。

今日は、昭和6年生まれ「瑞穂古文書を読む会」の渡辺先生が講師をしてくれました~。

会場は、郷土資料館の中です。教育委員会が窓口となっている郷土資料館、運営は株式会社に委託しているんだそうです。へー!

本講演は事前予約申し込み制。川崎からですけど、大丈夫ですか、と心配しましたがOKいただきました。

郷土資料館では、入館時の手指消毒のほか、個人情報を提供するシステム。(紙に書く)安心。

会場内は、2/3以上が「座っちゃダメシート」になっていて、定員100名の予定だったものの、参加できたのは25~30人くらいかしら。

入口と舞台入口のドアを開け、講師席にはアクリル板。対策バッチリでした。すごいな・・・・。

講義内容は、私は基礎知識がないので少し難しかったけれども、レジュメが凄くてですね!ゆっくり家で読んだら結構理解できたわ。

専門家の話は、分かりにくい。ちょっとの詳細をはしょるだけで事実が変わっちゃうからしょうがないけど。

百姓一揆とは

江戸時代、農民が幕府や大名などの支配者に対して行った反領主闘争。この時代に2809件が確認されており、他に村方騒動(村政改革闘争)が654件数えられている。

とのことです。

原因はいくつもあり、列挙してくれている。ほぼカネ。年貢、つまり税金です!

やっぱり、カネで平和は買えるんですよ。

夫「経済的に安定していれば争いが起こりにくい」

 

有名な百姓一揆列挙

渡辺先生のレジュメでは、「江戸時代と明治維新後も有名な百姓一揆」を見開き1ページに列挙してくれています!助かるね~。許可もらってないのでアップも書き起こしもしないけど。

年貢の減免、専売制反対、政治、の順に文句が多いです。農民が逃げちゃうこともあったようです・・・。当時、農民が逃げちゃうってどういうことなんだろ?今なら、職場を辞めても、ハロワなどで仕事は探せるけど・・・・。当時の「逃げちゃう」は夜逃げだよね。

いくつかの百姓一揆等を個別に解説してくれました~。

・島原の乱 1679

日本史上最大の一揆でした。学校でも習った!

原因は百姓(貧窮零細農民のほか、漁業・手工業・商業などの大規模経営者も含む)への過重な年貢負担・キリシタン迫害・百姓の飢饉だったそう。

納税未済や改宗拒否の信者には拷問・処刑を行ったという・・・・。信じられん。

天草四郎率いる一揆軍は、島原藩討伐軍と争い、支配側の討伐軍は島原城に籠城。一揆軍は島原城下を焼き払い、略奪を行って引き揚げ。・・・・燃やすして略奪したんだね・・・・。

幕府から、討伐部隊の応援が来た!なんと忍者を使って一揆軍の内情視察。食べ物が少ないという情報を得て、兵糧攻め作戦へ。天草四郎の母と妹を生け捕りにして手紙を書かせるあたり、やり方が汚いと思うんだけど!(一揆軍は拒否)指導者の身内を人質にするなんて・・・正々堂々とやれよ。天草四郎はまだ子供でしょ。可哀想に。

その後、一揆軍は敗北し、一揆軍は皆殺しで島原の乱は鎮圧された・・・と言われています。

島原藩藩主は、領民が生活が成り立たないほどの過重な年貢取り立てたため一揆が発生したとして責任を問われ斬首。切腹ではなく斬首となったのは、江戸時代で本件だけ、なんだってさ!

過重な年貢取り立てとは?

過重な年貢取り立て、というと、私にはピンと来なかったけど。なんと、課税物件と言える石高を縄のびさせていたんだそう・・・・。

農地を実際の2倍の広さと決めつけて実情の2倍の収穫がある前提で課税が行われたので、領民が重税にあえいだんだって!検地をやりなおして、正しい広さを測り直してよと頼んでも「前例がない」無視されちゃったって!?ひどい・・・・。

役人は責任取りたくないからね。しょうがないよね。君主がアホだとしょうもないんだね。

島原の乱、その後

島原の乱の後、1659年には検地のやり直しをして適正な課税標準になったし、キリシタンも認められるようになった。これは、当時の島原地方が農業効率性が悪い代わりにマナコやフカヒレなどを輸出して幕府を儲けさせていたから、とレジュメにはあります。

稼ぐアイテムがあれば、意見が通りやすいんだな~。

・郡上一揆 1754年

宝暦年間の郡上一揆の方を取り上げてくれました~。(延宝年間は省略)

当時、年貢の徴収方法の変更には、勘定奉行の許可が必要だったんだそうです。会計ソフトではありません笑

当時の課税方法

年貢徴収は、定免法だったが検見法に改め、更に切添新田を洗い出し新規課税をしてより増税にすることを決めた。

知らない課税方法ばっかり!当時の年貢の徴収法を見てみましょう!

1、定免法(じょうめんほう)→ (現在の固定資産税に似てる)過去数年間の平均収量を基準にして一定期間の年貢額を豊凶に関わらず定額にする方法。

2、検見法(けみほう)→ (現在の所得課税に似ている)年ごとに収穫量をみてからその量を決める方法。

3、切添新田(きりぞえしんでん)とは → (脱税の手法?)自村内の土地に接続して開発し、新田の高を本田(ほんでん)に加えること

切添新田は、課税標準を隠しているので、脱税ですね。現在で言うところの売上げ隠し・相続税なら預金通帳隠し。アウトです。

一揆の結末として、一揆軍がエライ人にいいつけたことも罪になったものの、切添新田で増税になるのを恐れて一揆を行ったこと、脱税したことなどが罪になりました。一揆軍、獄門4死罪10遠島1重追放6重処分33と、大量処分を受けました。

郡上一揆では農民の意見が分かれたので、融和を取り戻すため盆踊りが始まった。郡上おどりの起源なんだそうです。へー。今の岐阜県岐阜市?2020年は残念ながらコロナで中止ですが、毎年8月13日~8月16日がフィナーレで翌朝に掛けて徹夜踊りをするらしいです。

徹夜っていいよね!

・中山道伝馬騒動 1764

助郷 SAの苦労

中山道沿いには、69次の宿場がありまして。今でいう所の、高速道路のSA(サービスエリア)だね。休憩所や宿がないと、交通インフラが整備できませんから。

参勤交代などの時に困らないように、SAでは次のSAまで人馬を提供するのが義務だったらしいです。50人&50馬を用意していたけど、足りない時は近くの農村からヘルプさせる、という「助郷」(すけごう)というのがあったらしいです。報酬ゼロもあったとか。

(今もありますねぇ。高速道路のSAやPAは赤字であっても、契約中は店閉められないというやつ)

この助郷を、追加するとのおふれに、農家は「マジ勘弁。通常の助郷すら超きついのに、さらに追加とかありえんし。農繁期どうすんの」と怒り。

納得できない負担増と不公平感

過去の凶作の影響が整理されていない上、朝鮮通信費の通信費用のための増税があった上に助郷の増加ですからねぇ・・・。

農民からは

「日光東照宮150年記念でなんかするつもりで、増助郷するんじゃ?メンツのため?やってられん!」

「人馬を提供できない遠くの農民からはカネで増税するのでは?農民があんまり使わない道を整備するために、だ!」

「え、あの村は国役金を免除されてんの?なのに増助郷があるオラの村は免除されないの?不公平だ」

「問屋や高利貸しが幕府関連者と結託したんだ!」という噂で農民の反対運動は激しく・・・・。

うーん、東京オリンピックも意見が分かれましたねぇ。業界のエゴなのではと思うような予算て、今もありますよねぇ。

農民の不公平感が、分からないことへの不安が噂をつくり、一揆を加速させました。

・大原騒動 1771

悪い代官がいたんですよ~。大原、という名でした。親子でひどい。飛騨の人は20年も苦しみました。

私利私欲にはしり。農民の年貢を30%から40%にした・・・・。

取り立てた年貢は、実は幕府から納税免除となったが、米を転売して自分だけ利ザヤを儲ける。幕府からの税金の還付金を着服。幕府からの救済金を着服。

見張りがいないと、腐敗するのかしら。

こう考えると、今の選挙制度は割といいのでは。

・天明の一揆 1782

冷害・浅間山の噴火と、大飢饉が続いていた頃・・・・。

買いだめはダメです、徒党を組むのはダメです、打ちこわしはダメです、のお触れがあったものの、商人の買いだめ・売り惜しみがあり、多くの農民党が難渋していた。

一揆は、一揆の指導者が不明で、現地での解散もさっさと行われていたよう。入年は打合せがあったのかしら。

一揆軍の行動制御があまり行われていないらしく。幕府は、商人のやり方をよく思っていなかったので、見て見ぬふりをしたのかも、という見解もありました。(いわば非常時の食料の買い占めだからね)

狭山が池集合又は武蔵村山の現地集合だったこともあったようで、いま狭山茶畑が広がるのどなか風景も、かつては飢饉で大変だったんだろうね。

・武州世直し一揆 1866

天候不順の不作と、第二次長州征伐のための強制的な兵糧米調達により米価高騰。米穀を自己調達できない山間農民や宿場の交通労働者の食べ物が・・・・。

武州世直し一揆では、「世直し」に賛同しなかった村には打ちこわしを行ったという・・・。それはひどい。民衆側がいつも可哀想、ということもないのね。

こうなってしまうと、どうせ火をつけられるなら参加する、という意識が働くのと、周囲のみんなが参加するなら、自分だけスルーできない、という農耕民族特有の思いになり。数が増えれば、勢いがついて過激になる、という

群集心理についての見解がありました~。

数の多さで自分たちが正しいと思いこんじゃうと過激になって、正義とか理念とか、どっかいっちゃうよね。

武州世直し一揆では、税の減免は求められておらず、階級矛盾を基礎とした一揆だったという見解がありました。

同調圧力。あるよね。きっと、私もそうなるのかもね。燃やされるくらいなら。てか、江戸時代、他人の家を燃やしすぎ。

多摩川沿岸をはじめ、いくつかの場所では、鎮圧側からの激しい攻撃があったと。

一揆側の農民がノコギリや斧、クワといった日常生活の道具で戦ったが、鎮圧軍は鉄砲を持ち出して容赦ない攻撃で一揆軍は致命的な打撃を受けたそうです。

・秩父事件 1884(明治17)

やっと、秩父事件!よっ待ってました~!

秩父事件は、埼玉県秩父郡の農民が減税を求めた武装蜂起事件。

富国強兵で増税が続き、当時の施策の影響でデフレ、農作物価格の下落、ヨーロッパ大不況で生糸の国内価格大暴落。

秩父は養蚕が盛んで、フランスに買ってもらっていたので大変!毎年の生糸の売上げを当てにして借り入れをして食料などの生活物資を購入していたので、生糸の暴落と増税で生活困窮・・・・。

あら、どこかで聞いた話です。今でも、よくあるよね。事業用の借り入れは、生活費に使わないでね!

当時の農民の困窮に付け込んだのが高利貸し。ますますビンボーに・・・・。

生活困窮に陥ってしまった秩父の農民は、「困民党」を結成し、減税・借り入れ返済のリスケ・義務教育の延期(休校にして経済が安定してから義務教育を、の意味で)を政府に求めました。

規律は厳しく、私利私欲に走っちゃダメ、強奪ダメ、など、かなりちゃんとした党でした。

高利貸し「強欲じじい」の家を襲い、刀剣を奪い、借入れ契約金と家を燃やす・・・・。

・教訓

秩父事件の話が少なかったけど・・・・。農民の一揆について学び、人の気持ちについて理解が深まりました。

教訓メモ、書いとく!

市民が生活困窮してしまうと暴徒化してしまう。生活安定が何よりも大事。

みんな自分勝手なことを言うけど、税負担が公平なら、今の日本国民はそんなに文句を言わない。(と信じる)

報道などで市民の不安をあおると、噂が噂をよび(SNSなどで)、思いがけない群集心理が働くことがある。

同調圧力心理は、「人は助け合わねば」など良い方向に向かうと良いね。

日本人は議論には向いておらず、決まったことに従う方が得意。多くの意見を出させてからまとめようとせず、様々な意見を公平に集約できる人材を育てるべき。

経済不安・生活困窮は争いを生みだす。平和はカネで買える。

投稿者: 小野寺 美奈

税理士。農業経営アドバイザー試験合格者。認定経営革新等支援機関。相続診断士。FP。 川崎市・東京多摩地方を中心にした、地域密着・現場主義。 税務の記事はご自身で税法を確認されるか個別に有料相談に来てくださいね。