秘境路線・山田線に乗る。鉄道開業150年記念パスファイナル

2023.3.2 2022年10月14日は、鉄道開業150年。記念イベント盛りだくさんのJR東日本でした!ちゃっかりファイナルパスのお替わりをしましたの話、1日目の画像集・記録です!(作成日2023.4.16)

・山田線・三陸鉄道 宮古でラーメン

2023.3.2(木)11,115歩

遊園7:15→ 新宿駅7:41 → 東京駅 7:57

東京発8:20 はやぶさ7号 → 盛岡駅 10:30着

盛岡駅11:09 山田線 → 宮古駅 13:30

宮古駅14:13 三陸鉄道 → 盛駅 16:35

盛駅 16:49 三陸鉄道 → 釜石駅 17:36

ホテルフォルクローロ三陸釜石 宿泊。10,200円(旅行支援で8,160円)

1,東京駅から盛岡駅

東京駅出発!はやぶさ7号で盛岡へ
盛岡駅、到着!
盛岡駅にて、ALFA-Fと遭遇!家族連れの記念写真のシャッターをおしました!(ちょっと嬉しい)
駅員さんに、「ALFA-X来てるから、シャッターチャンスですよ」と教えて貰ったよ。

ALFA-Xとは、次世代の新幹線だそうです。へー!動画も撮ったよ。

盛岡駅の南部焼きのドデカやかん。

大鉄瓶 南部形霰紋 だいてつびん なんぶがたあられもん

400年の歴史を誇る岩手の伝統的な特産品になっているんだって。どうりでオーラがありましたとも、ええ。

南部鉄器は、17世紀中頃、南部藩主が京都から盛岡に釜師を招き、茶の湯釜をつくらせたのが始まりといわれます。以来、良質な原材料に恵まれたことや、藩が保護育成に努め各地より多くの鋳物師、釜師を召抱えたことで発展を続け、現在は盛岡の代表的な特産品となっています。中でも「南部鉄瓶」は一品ごとに手づくりで生産されている伝統工芸品で、世界的に評価が高まっています。本作品は1970年に岩手県で開催された「みちのく国体」を記念して南部鉄器協同組合が製作しました。

JR東日本 HPより → https://www.jreast.co.jp/morioka/iwate-ginga-shiori/item/tetsubin.html

盛岡駅で乗り換え。

 

2,山田線に乗り換え!

山田線のホームから。

向かいのホームは東北線かな?

山田線の車両。八高線と同じ見た目の車両!!(非電化はみんなコレなのかな?)

 

山田線 快速リアスで宮古駅へ向かうよ!

 

一日2本の快速リアスに乗車!やったー!

山田線リアス号の車内。
単線なので、待ち合わせ。上米内駅にて

上米内駅の待ち合わせ時間に、ホームにおりまして、雪の岩手県の空気をスーハーといただきました。岩手の空気がひんやりしてて美味~♪

区界駅、通過です!

山田線

山の間を走る鉄道。大自然を車窓観光しまくりです。刮目せよっ

夏の風景もきれいでしょうねぇ♪

次の停車駅は陸中川井駅。さっきの上米内駅を出てから次の停車駅まで82分間停車せず。ええっ!特急料金なしの快速でですか。すごいな。まぁ私くらいだと、82分などあっという間ですわ。

川と山がきれいに撮れた~♪

という訳で、久しぶりの停車駅の陸中川井駅。

運転手さん、お疲れ様です。

山田線の茂市駅です。屋根がある上に、待合室まであるじゃん!すごーい!とテンションがあがるわたし。(ローカル線に慣れすぎ)茂市駅は、かつての貨物駅利用もあったらしいです。

茂市駅、すぐに出発です。

 

千徳駅に停車。次は終点の宮古駅!

車窓からの景色が、すっかりまちになった!さっきまで山の大自然を通っていたのにね!急な変化に感じるわ~。

宮古駅近く、三陸鉄道が見えたー!

3,宮古駅、到着!

ラッピング電車など、多くありました~。車両点検もしてるみたい。動いてる車両見れた♪

3月2日に行ったので、宮古駅でお雛様を飾ってた!ラッキー!

時間繰りをすれば、東京から当日に山田線に乗れます!15:54の宮古駅発に乗ると盛岡駅到着が18:21なので、余裕で日帰りできます!(しないと思うけど)

宮古駅でさんりくショップでお土産を買い、宮古ラーメンを慌ただしくいただきまして、三陸鉄道に乗ったよ~。

三陸鉄道の過去記事 → https://mina-office.com/2023/03/10/sakriku-tetsudo-repo/

4,山田線のひみつ

山田線には、山田駅がないです。始発が盛岡で終点が宮古なのに、何で山田線というのか?というわけで、山田線の名前の由来を調べたところ、陸中山田駅付近を目指して作られた鉄道らしいです~。盛岡→宮古→陸中山田→釜石の路線だったので山田線、という名前だったみたいね。

鉄道研究家の佐藤信之先生の「日本のローカル線150年全史」29頁によると、鉄道計画に「盛岡より宮古もしくは山田に至る鉄道」と「(現在の北上)もしくは花巻から秋田県横手に至る鉄道」があったそうです。

(今回の私の鉄旅で、山田線と北上線に乗車したので達成した!)

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ふたたび、佐藤信之先生の「150年全史」の57頁を見ますと、貴族院の予算審議の際に「盛岡-山田間の鉄道は人ひとりいない山中に線路を敷いて何が産業奨励か」という発言があったようです。

ウィキペディアによると、「人口が少ない場所に鉄道を敷設して、猿でも乗せるつもりか」「鉄道規則を読むと、猿は乗せないことになっている」という議会のやりとりを面白く書いてあります、ワハハ!

1918年9月に立憲政友会の原敬が内閣総理大臣に指名され、ローカル線の建設推進へ。1921年11月に原敬は鉄道職員に暗殺されてしまいました。

原敬の出身が盛岡藩(岩手県)だったので、周りがおもねったのかしら・・・・。原敬本人は立派な人だったようで、我田引鉄、をするような人柄ではなかったようです。

戦時中、山田線は釜石製鉄所の鉄鋼製品輸送のために「戦力増強路線」に指定された、との記載が「150年全史」の59頁にあります。あれば使うよね。

山田線は、当初の鉄道計画からすったもんだあり(この時代はなんでもそうだったみたい)、着工後も関東大震災や昭和三陸津波があり延び延びになりました。盛岡駅から宮古駅まで開通したのが1934年。その後、当初の予定の釜石までも開通したようです。

1934年の開通当初は、海側から内陸までの線路がないため、乗客はかなり多かったみたいです。釜石線が開通して、釜石から直接内陸の花巻まで行けるようになると、乗客は分散されていったようです。(「150年全史」P.62 大飢饉浮遊策 P.104 1951年山田線の復旧。読み進めたら追記するかも)

2011年、東日本大震災で宮古から釜石までの海沿いの区間が被災。2019年に、宮古から釜石の海沿い部分は山田線から三陸鉄道になりました。上下分離方式で頑張っています!

どこかのタイミングで、山田線を別の名前(かつては宮古線という線路があったので、たとえば宮盛線とか?)に改名してもよかったのかもだけど、敷設当初の山田線のままでいてくれたからこそ、調べてみようかな~と思えたな。なんでも新しくすればいいというものではないね。

ありがとう、山田線!雪の山田線、美しくて良かった。春の山田線、夏の山田線、紅葉の山田線もがんばってね!

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土地に歴史あり。豊かになりたくて色々やってみた。賛成する人がいて反対する人がいて、恩恵を受けた人と割を食った人がいた。100年経って、両者の差は無くならないとしても、格差は縮まっているのだろうか。

投稿者: 小野寺 美奈

税理士。農業経営アドバイザー試験合格者。認定経営革新等支援機関。相続診断士。FP。 川崎市・東京多摩地方を中心にした、地域密着・現場主義。 税務の記事はご自身で税法を確認されるか個別に有料相談に来てくださいね。