2023.11.2 新百合ヶ丘のアートセンターで、陸軍登戸研究所の映画を観てきました!戦争はいけない。自分の身を護るため、国政を見張るのは大事。
陸軍登戸研究所は、戦前、川崎市多摩区にありました。今は明治大学の生田キャンパスとして使われていて、一部を資料館として保存されています。
わたしは陸軍登戸研究所に、2017年3月に行っています。良い記事を書いているわたし。ウンウン、最初の頃は丁寧に日記書いていたのエライ。前編後編できれいにまとまっています。自画自賛。
関連過去記事 陸軍登戸研究所 序章編 → https://mina-office.com/2017/03/16/noborito-kenkyujo-1/
資料館の展示内容と映画の内容は同じなのだけど、証言者のインタビューのみで構成されていた、その説得力!
多くの方が後世のためにと証言されたと思います。全部で3時間、貴重な映像見れました。
・登戸研究所従事者の証言
登戸研究所で働いていた方の証言。
多くの地元の方が働いていて、年寄りと女性は農業で食糧確保、若者は研究所で現金収入、という構図があったようです。普通のスタッフの日常業務の証言から事実を辿っていく。
東京の宝塚劇場で風船爆弾の作業が行われたり、敦賀まで出張したり、千葉県一宮で風船を飛ばしたり。
当たり前だけど、証言の端々に出てくる証言者の日常が垣間見えて、戦時中の人も私も変わりがないよなぁ。
研究所の予算はふんだんにあって、個人的な無駄遣いもあったんだなぁとか、自分のお金じゃないから雑に遣うなぁとか、それをチラ見している誰かがいる。なにより、自分は知っているわけです・・・・。
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当時はそれが国家的な仕事だから行った。幸せな作業ではなかった。良心の呵責、精神的な後遺症を抱えさせることになってしまった。先祖を責めてもしょうがなく、私にできることは過去を受け入れて平和維持を願い努めるだけ。
・千葉県一宮:風船爆弾の話
千葉県一宮の風船爆弾を飛ばした場所付近には、今は太陽の里というスパ&リゾートがあります。茂原駅から送迎バスが出ていて、海沿いの温浴施設、大衆演劇もやってます。
「この海をナ、ま~っすぐ行ったらサンフランシスコちゅう場所に着くだよ。だから、風船はそこへ向かってるんじゃねぇの」
風船は見ないように言われたという証言、
山に向かって飛んで来てた時もあったという証言、
アメリカ軍の艦隊が海から日立鉱山の煙突(こちらも偶然視察済み)を目掛けて行った射撃が怖かったという証言、
風船爆弾がうまく飛ばずに従事した方が事故にあって肉片や歯を拾った証言、
当時はコンクリートが珍しいから証拠隠滅のために建物破壊した際に”丈夫そうだから台所の台に使おうと思って”持ち帰られたコンクリート。
風船爆弾という存在を以前知って、どこか絵空事のような思いもあったけど、ついこないだ偶然行った場所で、文字ではなく実際の市民の方が語る経験を聞くと肌感覚で恐ろしさが分かる・・・・。証言で紡がれた事実が、あたかも自分が経験したような感覚に近くなる。。。
水素を通さない風船を作る計画で、和紙とこんにゃく糊で作ることになったそう。福島県のいわき市だったか、水がきれいな地域で和紙作成。高齢者、若者、中年、と作業分担していたそう。こんにゃく糊は別の場所だったかもだけど、中年以降の方々が担当、夜にノルマ分を作ってまた眠りに帰る生活だったとか。。。
終戦近くでは食糧不足からこんにゃく糊を食べないように着色したとのこと・・・・。
多額の資金・労働力を投入して出来上がった風船爆弾は、9000発ほど飛ばされ、アメリカに到達したのは400発ほどと。・・・・到達しなかった風船爆弾はどうなってしまったんだろうか・・・・。
・アメリカ人6名の犠牲を慰霊
アメリカに到達した風船爆弾は、アメリカ現地の一般人6名を犠牲にしたそうです。
徴用工の女性数名は50年後にアメリカ現地を慰霊のため訪問し、現地のアメリカ人から暖かく迎えられ手作りの食事を振舞っていただいたそうで。
”アメリカが日本に原爆を落とし、何十万人も犠牲になった。アメリカ人6名の犠牲のために訪米して慰霊する”ことへの違和感がある方はいたようです。
元徴用工の女性は言う。「私が作った部品で6名の方が犠牲になったことを慰霊したいのです。いいじゃないですか、私のようなもの好きがいても」とニッコリ笑った。私はちょっと泣いたよ。
・偽札作成の話
偽札作成は、資料館の記録とは異なる証言がありましたが、大枠は同じ。
南京・汪兆銘政府の偽札、造幣局から部品を盗んできた話、東南アジア諸国でも偽札、日本兵へ渡す給料も偽札を混ぜて・・・・。
平和時なら、日本人が使う紙幣を受け取らないという選択肢もあったでしょうけど、戦時中なので偽札と疑っていても現地の方は受け取らざるを得ない。拒否すれば悪くすれば命までも奪われるから。
アメリカ兵の場合、物資と共に出兵だけど、日本兵の場合は現地調達が多かったようで、、、
今の貨幣価値1兆円ほどの偽札作成したようで、現地国の経済混乱規模は分からないという見方はそうかもしれないけど、貨幣に対する信頼を大きく損ねる悪い行為だったと思いました。
自国通貨は偽造しない、自国通貨の価値が下がるから。
・細菌兵器と本土決戦の噂
無農薬野菜は川下で作ると水や地に農薬が混ざるので山奥・川上で作るものらしいのです。
山頂近辺が環境汚染されると、川下に影響するのは足尾銅山鉱毒事件から深く学びました。
細菌兵器によって環境汚染を行うことも許しがたい行為だと思う。細菌兵器作成の過程で動物実験・人体実験が行われたことは何度聞いてもショック。
汚染させた水で自分たちが被害にあわないように浄水器を作ったようで、長野県の松代大本営にもあったそうです。
本土決戦に備えて、細菌兵器を、一般市民は見捨てて、といった見解もあるようです。さすがにそこまで?と私は疑問に思うけど、戦争経験者がそう思うほどに狂った当時の状況があったんだろうと思うと・・・・。
当時の大本営、国家運営側、という表現でいいのか、一般市民は消耗品でしかなかったんだろうね。自分は前線に行かずに考えて命令するだけで、犠牲者は自分ではない。
そうか。明治憲法では、主権者が天皇でそれ以外が臣民だったから。・・・・大衆演劇を見て、江戸時代以前も似たようなものだったように感じるけど、頭で分かっても当時の状況の理解に苦しむ。。。
・平和を願う
当時の世界情勢は複数の要素があり、わたしは単純に日本が領土欲しさで参戦したと思ってはいないけど。
今、世界で起こっている戦争、ウクライナ情勢やイスラエル情勢だって突き詰めれば根本は同じなのかなと思う。
自衛戦争、主張のぶつかり合い、どっちも譲る要素がない、駆け引きがあり引けないなど。
小競り合いから大事に発展するのだけど、日本だって他人事ではないでしょう。他国を尊重し、イラついても挑発しないようにするべきだと感じる。
日本が国民主権となって80年近く。自分の目先の感情・利益だけで国政を判断せずに冷静な視点を持ち続けたいと思います。