2024.5.3 今日は憲法記念日です。毎年、憲法記念日に関するような記事を書いているので、今年もそうします。今年は人生の尊厳という視点で書きました。
3月下旬にハンセン病資料館を訪問し、その後はインターネットで色々調べ、考えました。強制隔離や人権侵害については、既に別記事にて書きました。
ハンセン病資料館でハンセン病の歴史を学ぶ | 小野寺美奈 税理士事務所 (mina-office.com)
ハンセン病の強制隔離の対象となり、療養所で暮らす・暮らした方々の「尊厳」について私は考えました。
わたしが何か出来ることはなくて、自己満足なんだけど・・・・。
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感染した(発症した)ことで住み慣れた家・家族と別れて療養所で暮らすことを余儀なくされてしまいました。
断れる状況になくそういうものだと受容した、嫌がったけど無理やり連れていかれた、など様々あったと思います。
私はこのような過度な人権侵害が行われないよう、行政と自分の心を監視していかなくてはと思います。
人生に対する尊厳という観点から、「みんなを感染から守るため、身を引いてくれてありがとう」と思いたいです。
療養所の生活は、病人でありながら外出の自由がなく、様々なことで泣いて過ごした方が多くいらしたと思います。
私は、
コミュニティの中で人間関係に不満があったり、明日の作業が嫌だなと思ったり、作業賃でタバコを買うのを楽しみにしたり、みんなで作った野菜が美味しかったり、同室者のいびきがうるさくて不眠になったり、病気の進行を恐れたり、今年の桜を話題にしたり、ケンカしたり喜んだり、
私と変わらぬ同じ感情で過ごされたと思いたいです。
理想とはかけ離れた劣悪な時期・劣悪な療養所もあったことを知りました。
コミュニティの中で相互扶助の精神で、後遺症で障害があっても役割があり作業をされ、体が動く人は動かない人の支援をされました。立派なことだと思いました。
もう隔離の必要がない判明した後も残念なことに療養所外から出ることは稀だったとのこと。退所した場合、ハンセン病の知識に乏しい市民からの言動で心が傷つく可能性が高いから療養所に留まる方がいい、という考えがあったと読みました。
私は、どっちが良かったんだろうかと思います。
自由を得るために退所した方がよかったのか、それとも少なくとも衣食住が確保され差別偏見が少ない療養所生活を続ける方がよかったのか・・・・。
最終的には人なのだと思いました。
療養所内で、ご苦労を文芸や芸術へと昇華されたこと、私にとっては救いです。
ただ可哀想なだけで終えた人生だったと思いたくないのです。
人権侵害が行われたこと、悪いことでした。知って気落ちすることが多くありました。不快で忘れたいかもしれませんが、このような過ちを学ぶことに重要な意味があると思います。
村を感染から守るために感染者を隔離する--。コロナウイルス感染症の時も似たようなことが行われました。感染予防や治療方法が確立するまでは、この方法しかないように思いました。
ハンセン病元患者への人権侵害があったためでしょう、コロナ感染者の隔離措置・隔離期間は徐々に緩やかになっていきました。過去と異なり、直ちにコロナ感染者への偏見に対する周知がありました。感染が身近になるにつれて、偏見はなくなっていきました。
人の心は強制できません。初期は分からないことばかりで、過度に怖がりコロナ感染者を中傷した人もいたし、コロナ感染者の中には自分が窮屈だからと隔離を守らず、何も知らない接客者が感染してしまったこともありました。
コロナウイルスとハンセン病では、感染の種類が違うのでしょうけれども、感染病に対する市民の不安感は同じだと思います。
ハンセン病元患者の皆さんのご苦労を引き換えに、ハンセン病感染の不安が大爆発せずに済んだと思いたいです。
苦労させてごめんなさい、みんなを守ってくれてありがとうと言いたいです。
ハンセン病元患者の皆様に、敬意を表すために書きました。