三春しらべ。伝説・城・鉱物

2026.7.3 福島県の三春町に行ってきました~。南武線の府中本町の駅にガイドブックがあったことが縁で行きました。三春旅の個別レポです。

・三春の猫騒動ストーリー

民俗資料館でチェックしていた三春猫騒動の伝説に関する資料を購入して宿で読みました。

腹きり梅・滋野火事伝説。

藩主の地位を狙っている荒木という家老がいた。幼君の命が狙われている不穏な気配を察知する忠臣の滋野(しげの)。荒木側は、無実の罪をでっちあげ、滋野は切腹になってしまう。

すべてを把握したうえでの滋野の切腹、その無念を乳母に語りお別れをした。傍らにいた乳母の老いた飼い猫が懐いたため、滋野は連れて帰った。

紫雲寺にて滋野は切腹、逆賊の天罰は免れんぞと近くの梅の木に内臓を投げつけるという壮絶な最期を遂げる。老い猫は滋野の切腹の血を舐め、平沢村に帰った。

毎年、白い花をつけていた紫雲寺の梅は、赤い花をつけるようになった。

という2つの伝説ストーリーです。

河野広中のえい髪塚を築く際に、大正5年に梅の木に「はらきり梅」の碑を建てたそうです。

荒木とその関連者が囲碁をしている際、滋野の亡霊と怪猫が現れるッ。2月22日に三春で大きな火事があり、滋野火事(1785)と呼ばれているそうです。(2月22日といえばネコの日でお馴染みですが!)

三春でネコの芝居をすると火事が起こると、避けられてきたそうです(゚д゚)!

(現在の佐賀県の鍋島騒動(化け猫)の話が流行っていてインスパイアされたのか、)三春町の歴史の一部から創作した話と思われます、と資料にありました。当時、お家騒動に怪談話を絡ませたのが、みんなにウケたみたいです。

・三春町の大衆娯楽

三春町でネコの芝居が避けられていたことが気になり、深堀りしてみました。

明治30年に三春座という芝居小屋が作られたそうで、旅芝居が来ていたようです。旅役者に本物の甲冑を貸してあげたら持ち逃げされたことがあるらしいです。。。

三春の和菓子屋さん「三春名物おたりまんじゅう」の昭進堂のホームページにありました。おたりまんじゅう-三春昭進堂-

三春座についてのURLです。→ otarimanjyu.com/blog/index.php?e=535

明治30年に、劇場として常舞台と呼ばれた「三春座」を、自由民権運動家で福島事件に連座した松本茂が、釈放後に三春大神宮参道左手の櫻川に面したところに創設します。
初期の三春座は、地方巡業の旅芝居が主で、松本は旅役者に実物の鎧甲冑や刀剣を貸し、そのままそっくり持ち逃げされたこともあったと伝えられています。
大正期になると三春城下に活動写真が登場します

明治30年に劇場が作れる資金力があったんだなぁ!収益の見込みがたつほど、住民のニーズも人数も多かったのかな。

大衆娯楽は、寄席・旅芝居→無声映画(活動写真)で弁士活躍→音入りの映画→映画館へと移り変わっていきました。

弁士さんの活動写真は、私は去年、浅草木馬亭で見た!おもしろかったなぁ~。大正時代の三春町のまちのひとが、同じように活動写真を楽しんだのかなぁと思って、ワクワクします。

・三春城関連のサムライ

坂上田村麻呂は平安時代の征夷大将軍だそうで、名前は私でも聞いたことがあります。何をしたのか忘れたけど笑

三春城(1504)の初代城主は田村さんで、ず~っと遡ったら坂上田村麻呂の親戚だ!と権威付けしたようです。ちなみに、この辺りは田村郡です。田村大元神社があり、あちこちで田村さんの名前が出て来ます。

三春町の歴史は、ドングリ食べてた縄文時代からあるけれど、三春城が出来るあたりから資料が多いみたいです。

三春城の歴代城主|三春城と城下町特設サイト

三春城を築城した田村さん3代目は、一人娘の愛姫を12歳(1579年)で伊達政宗に嫁がせます。その後、孫の誕生を願うも3代目は亡くなってしまいます(1586)。3代目は、武力で領地拡大を目指していて、周囲のサムライから疎まれて孤立してたそうです。・・・もしや??

伊達政宗が三春城に入城(愛姫は秀吉の人質で京都)、三春町を秀吉の奥羽仕置(1590)で田村さんが改易されて秀吉家臣の蒲生さんが来たり出たり、相馬さんが乗り気じゃなかったり、伊達さん、佐竹さん、秋田さん、仲良しかと思ったらケンカしてたりして、

なんだかんだで1645年に秋田さん城主で落ち着き、そこから秋田さん三春城主が続き、廃城を迎えたようです。登場人物が多過ぎて人間関係が分かりません。

1868年に戊辰戦争、三春城は無血開城します。なかなかカナシイ内戦でした。

1874年に三春城は建物と石段・石垣が売却される・・・・(-_-;)

・三春町の鉱物

三春城のホームページにある三春城の歴代城主のページを見ると(上記のURL)

1641年(寛永18年)

幕府から日光山廟塔に収める水晶献上を求められ、その後、将軍死没の度に献上する。

とあるので、三春町は水晶が採れてたようです。戦後に鉱山もあったようですが、ちょっと掘ってオワリだった感じです。

馬場の湯というバス停があり、三春大町の先にいくつかラドン浴の泊まれる施設がありますので、鉱物がある、といえるかな。

江戸時代(だと思う)三春城には、なんとサウナ(蒸気浴)があったらしいです。めずらしい~。

私は今回の三春の旅で、熱めのラジウム温泉とラドン岩盤浴でちゃっかり療養してきました。予防のくせにすみませんな気持ちで静かに過ごしました~。

投稿者: 小野寺 美奈

税理士。農業経営アドバイザー試験合格者。認定経営革新等支援機関。 川崎市・東京多摩地方を中心にした、地域密着・現場主義。 税務の記事はご自身で税法を確認されるか個別に有料相談に来てくださいね。