三春しらべ。 河野広中と自由民権運動

2026.7.2(作成日7.10) 福島県の三春町に行ってきました~。三春町へ行く決め手となった、自由民権記念館です。

・三春町を知った経緯

南武線の府中本町の駅になぜか三春町のかわいいガイドブックがあり、夫が南武線での移動中の読み物としてピックアップ。自由民権記念館があることを発見し。町田の自由民権資料館を訪れた際、”自由民権”を冠する施設は3つのみであることを知り、三春・高知にも行ってみたいなと思ってたところでした。

こういうのって巡り合わせだし、行って来たら?な縁があったのです。

自由民権記念館だけのために行くほどのテンションはなかったのだけど(新幹線だし!)、いつか行ってみよう~♪と思っていたら郡山で興味深い研修を発見しました。これはっ呼ばれたんだと思って!

・自由民権記念館

三春町の町役場の裏手の丘の上に、三春町歴史民俗資料館と併設してあります。300円。靴を脱ぎます。スリッパ・室内草履(手編みなのイイ!写真撮り忘れ)があります。

自由民権記念館は、広さちょうどよく。戊辰戦争→喜多方事件→福島事件→加波山事件→自由民権運動の終わり を学びました。このあたりの政党関連の話は私には記憶が浅いです。(あんまりおもしろくない)

記念館の半分ほどは河野広中さんの愛用品などがあり、関連研究者の書籍があります。

河野広中さんは1923年、大正12年の関東大震災の年の暮れ、12月29日にお亡くなりになり。2023年に没後100年でイベントがあったみたいです。そのイベントで作ったと思われる関連した歴史まとめ映像が自由民権記念館で流れてました。

3~4分×4ストーリー。3人掛けのソファがあるので落ち着いて見れました。

展示&映像&無料配布の資料(ふりがな付き)&700円で購入した資料、とばっちり!理解できたはず。・・・・多分。

・三春と自由民権運動

三春町ホームページにあります。→ https://www.town.miharu.fukushima.jp/soshiki/19/about/minken/minken.html

同じ内容のプリントがもらえました。(プリント=印刷物)

明治時代初期の政府は、鹿児島県・山口県などの地域中心の専制政治でした。

明治政府になっても多くの人々の暮らしはよくならず、日本に国会・憲法を作って国民の自由を守り権利を主張できる場をつくろうとした運動で、全国的に広がった、とあります。

・令和時代に振り返る、自由民権運動

人々が国政に参加し、自由と権利を獲得する目的だった自由民権運動ですが、令和の現代はどうなんでしょ。

自由と権利は割と獲得できていると思います。人々が国政への参加を忘れ(わたしもだけど)、自由と権利が当たり前だと思っている。極端に国政参加の篤い想いもどうかなとは思うけど、ほどよい関心とほどほどの抑止力として存在したらいいな、そんな風に私は思います。

体制側を甘やかすとね。強権的な振る舞いをしてくるからね。そっちで努力もしないで、押し付けて、なんだッ!電子申告や電子納税を強制している。見張って行かねばならぬ。

・河野広中さんの一生

河野広中さんは、政治家をしていました。現在には河野姓の政治家が何人もいるので関係あるのかなと気を付けてみてましたが、河野広中さんの家系図には出てきてません。(どこかで繋がっているかもしれませんが)

河野広中さんは1849年に三春町で生まれ。三春藩士。

13歳のころでしょうか、お母さんが二本松の商人に奉公に行かせたところ、2年くらいで才能がないと三春に逃げ帰ってしまった。

自由民権運動の前後は区長など勤めたり、やめたり。

第1回衆議院選挙(1890)で当選して政治家へ。

福島事件で収監されたり、「福島民報」を創刊したり、衆議院議長で奉答文事件を起こしたり。

14回連続して選挙当選という圧倒的な人気がありました。

激動の時代を生きた河野広中さんは、

1923年に東京で74歳で亡くなり、東京の音羽護国寺にお墓があるそうです。(そうなんだ!意外と近かったという)

・水戸天狗党と河野広中さんの出会い

水戸藩は、尊王派を排除したので、水戸天狗党が組織された、そんな風な受け取り方をしました。水戸藩、、、徳川家です。当時の徳川幕府は外国からの圧力で、開国を進めていて、天皇を尊重する新しい国を作る「尊王攘夷」の思想が河野広中さんに叩き込まれた、とあります。

なぜ急に尊王派が生まれてきたのか、忘れてしまいましたが、水戸弘道館でなんか書いてありました。

水戸天狗党が逃げてきて三春町の広中さんのお母さんが匿った縁で、河野広中さんは尊王派の考えを知ったようです。

・戊辰戦争 1867年

戊辰戦争は、天皇を中心とした新政府軍と、会津藩など旧幕府勢力が戦う内戦でした。

新政府の基本方針のご箇条の御誓文で、みんなが心をひとつにして政治を進めて行こうという部分に感動していた河野広中さんを始め尊王の志士たちが、新政府と戦うなんて考えられないことだったみたいです。

旧幕府勢力の東北地方は、奥羽越列藩同盟で会津藩を守るために新政府軍と戦うと決めた。やむを得ず同盟に加わった三春藩。

新政府軍が近くまで迫ってきてしまい、三春藩は降参をして無血開城をしました。そうして、三春藩は、新政府軍として二本松や会津攻撃に加わることになってしまう。。。

敵味方にかかわらず多くの人が戦死し、一般住民が焼け出される悲惨な戦争を目の当たりにした、と配布資料にありました。

哀しい~。

結果的に三春藩は新政府軍として勝者となった扱い?だからなのか分かりませんが、河野広中さんは三春藩や新政府に改革案を提案するがスルーされ、若松県(旧若松藩)の役人になります。

・自由民権運動 1874年

薩長の藩閥政治の中、征韓論が負け。国会開設を求める建白書を板垣退助が提出し、自由民権運動がはじまった、とあります。

色々ありまして、1890年に初の国会開催、議長などの選出に河野広中さんは100票程度を獲得したけれど選ばれなかったそうです。

政府は国会解散をして選挙干渉、政党と政府がモメ?ました。内閣不信任案を天皇へ上奏。明治天皇は和衷協同の詔(みことのり)が出され、これ以降、藩閥政府と民党側が譲り合う事となり、自由民権運動は終わった、とあります。

・喜多方事件、福島事件、加波山事件は次回

政府からの重い負担に農民が怒って喜多方警察署に3000人押しかけた騒擾を喜多方事件、というそうです。

この喜多方事件が発端となり、自由党が暴動を起こさせたと、たくさんの自由党員1000人超の拘留者をだしたのが福島事件です。(同1882)

福島事件で指導者不在時、若い運動家たちが、三島県令の暗殺事件を計画し茨城県の加波山で革命未遂を起こし全員が逮捕され19人が処刑されたのが、加波山事件です。1884年(M17)

次回、もう少し詳しく記録しておきます~。明日の記事→ 三春しらべ。喜多方事件、福島事件、加波山事件 |

私は民衆の想い、民衆蜂起を詳しく知りたいんです。

投稿者: 小野寺 美奈

税理士。農業経営アドバイザー試験合格者。認定経営革新等支援機関。 川崎市・東京多摩地方を中心にした、地域密着・現場主義。 税務の記事はご自身で税法を確認されるか個別に有料相談に来てくださいね。