三春しらべ。喜多方事件、福島事件、加波山事件

2026.7.3 福島県の三春町にある、自由民権記念館に行ってきました。

三春の旅レポの最終回の今回は、民衆蜂起です。喜多方事件、福島事件、加波山事件について知ったことを書きます。

政府の強権が過ぎて、追い詰められた民衆が蜂起した、そういう理解をしました!

・民意の限界を知る。民衆蜂起

みんなで協力して暮らしやすい街や制度を維持したいです。

一方で、体制を!見張らないと役所の思い通りにやられ放題になると思います。

政府の思惑通りに仕向けられた数値で民意を作れてしまうので(これは税務の電子申告・電子納税の達成率の事を指してます)、政治を監視しないとならぬと思います。

人の数だけ正義があるってことを見失いがちになるので。定期的に思い出したいなと思います~。

民衆蜂起って大事だと思うので、知っておきたいんです。

前回は河野広中さんをメインに自由民権運動まで書きました~。昨日の記事→ 三春しらべ。 河野広中と自由民権運動 |

・喜多方事件、福島事件 1882年

政府からの重い負担に農民が怒って喜多方警察署に3000人押しかけた騒擾を喜多方事件、というそうです。

三島通庸さんという薩摩藩出身の方、後の警視総監だそうですが、山形県令の成功体験もあるのか、福島県令(当時の地方長官の役職名)へ。

三島通庸さんは福島県令に就任、自由党がキライだったようで、県会には言われても出ない。県会は県令が出した議案をすべて否決。めっちゃ仲悪くなっちゃった。

福島県令(三島通庸)は、会津三方道路を作るため、地元住民に重い負担をさせて、お金か労働力を提供できないなら財産差し押さえる、をやってしまいました。

それで、農家が怒って喜多方事件になった。(1882)

議会に出てもどうせ説得に応じないし妨害されるだけから、なんでしょうけれど、議会軽視は印象が良くないね~。道路を作っておけば後々に栄えて地元住民が受益するからがんばれだったんだろうけど、一体どうすればよかったんでしょう。

この喜多方事件が発端となり、”自由党が暴動を起こさせた”と、たくさんの自由党員1000人超の拘留者をだしたのが福島事件です。(同1882)

逮捕された河野広中さんらは、全国からその考えや行動に共感した方々からの支援が多く寄せられた、とあります。

・加波山事件 1884年

物事にはいくつもの表情があります。

資料によると、

河野広中さんらが獄中にいるこの間、指導者を失った若い運動家たちが、三島県令の暗殺事件を計画し茨城県の加波山で革命を目指すも、追随者はいなく。爆弾の事故で計画が発覚し全員が逮捕され19人が処刑されたのが、加波山事件です。1884年(M17)

思想も行動も正しいと思ってしたのだけど。同じ考えの人だけで固まっていると、極端になっていると気が付かないよね。暗殺だなんて物騒なことを、若い運動家の暴走した・・・・。というのが、私の第一印象でした。

・加波山事件 自由の魁「顕彰」の抜粋

加波山事件 自由の魁「顕彰」に書かれていることを抜粋して書きます~。

「福島・喜多方事件の大弾圧という圧政に対し、死を決して爆殺を企図したもの」、とあります。

「獄窓に在ってなお民主国家造出の信念に燃えた。福島事件では国事犯とされたのに、加波山事件は強盗故殺の汚名のもと、死刑7名、無期徒刑7名と極めて政治的な厳しい処断だった。」

「官憲の過酷な取り調べを受けて下獄するなど、献身その救援に尽くした。」

「国家のため身を犠牲にたことは維新の志士と同列だ、と名誉が回復されました。」

「わが三春の先人たちが近代日本国家造出の礎として国思う気概を後世に伝えるとともに、志士尊霊の安かれと祈る。」

私の加波山事件への第一印象は、浅はかでした。物事には、相手側からの見え方があるよね。暴力は良くない。

強権が過ぎると、追い詰められた民衆は暴力に走ってしまいます。

こじれきってしまう前に、どこかに丁度良い落としどころがあるはずなんだ。

日常の、わたしたちの人間関係もそうなのだと思います。

投稿者: 小野寺 美奈

税理士。農業経営アドバイザー試験合格者。認定経営革新等支援機関。 川崎市・東京多摩地方を中心にした、地域密着・現場主義。 税務の記事はご自身で税法を確認されるか個別に有料相談に来てくださいね。