小笠原父島 戦争遺跡ツアー

29.7.15 小笠原父島で、戦跡ツアーに行ってきたよ。板長さんの。

1、板長さんという人

板長さん

板長さんという戦争遺跡収集をしているジイサンがいる。硫黄島で遺骨収集したり、戦争遺族の案内をしたり、父島で従軍した人たちの話を聞いたりと、第一人者ぽかった。

詳しい話が聞けるよ。戦争遺跡ツアーなら、板長さんが一番いいらしい。後継者も育ってるけどね。

ラーメン屋でこだわってる店主とかいるでしょ。板長さんてあんな感じよ。アホな質問して怒られたよ。その後はあんまり対応してくれなくなったので、あんまりよく分からないことが多かった。チェッ

板長さんジイサンは、自分の好きなことしかやらないというポリシーがある。要約するとワガママな人(自分で言っていた)。困ったことに、私はこういう人の生き方にとても共感するんだよ。思い出すと頭に来るんだけど、活動が立派だし、ワガママだけどやることちゃんとやってそうだから、好きに暮らして欲しいと思う。チッ!

2、戦跡ツアーはジャングル体験

戦争遺跡ツアーは、登山です!ジャングル体験ツアーだよ。思ってたのと全然違うよ!山を歩く。兵隊が使っていた人造洞窟をいっぱい通る。頭ぶつける。真っ暗で怖い。山道は特に整備されていない。遭難しそう。落ち葉とドロが混ざってて足元が悪いしもちろん地図なんてない。こけたので、泥だらけ…

雨でもカッパ着てやるらしいので、心から晴れててよかったと思った。

小笠原父島では、空襲で木々がやられ、上空から山が見れてしまう状態だったらしく、作った横穴で見張りしたり物資を隠したりした。

3、ガイドの説明はひたすら黙って聞くべし

硫黄島は日本本土へのB29の発進地にしたくて狙われた。そのため、ひどい状態になったんだけども。7万人くらい戦死したと記憶してたんだよね。

最初のビューポイントで、

「連合軍の船があの辺りから攻撃して来たので、連合軍の船に当たらないようにここから弾を撃った。ここがその跡地」

というので、

「なんで当てなかったんですか」(連合軍が可哀想という気持ちがあったのかと)

と聞いたら怒られちゃってさー。

「あなたね、連合軍が何人来たのか知ってるんですか!?」

「え…2万人くらい(戦死したのがそのくらいだったような)」

「46万人だよ!知らないから来てるんだろうけど、最低限は勉強してきなさいよ」

と、怒られちゃってさー。そんなに戦争遺跡の勉強のハードル上げてどうするんだよ。まぁ、板長さんが正しいよ。フンッ!

他のツアー客と、戦局やミサイルについて話して盛り上がってた。戦争マニアとかの人だと、たまらんのだと思うよ。トーチカとか二等兵とか用語の意義がよく分からない。

けどまた怒られそうなので、もう質問はなるべく控えたよ。ちょっとは顔色伺いつつ質問したけど。

4、ジャングルでの戦い方

夜明山を歩く。
連合軍は、日本本土を攻撃するために硫黄島が欲しかった。父島は、飛行場が作りにくいことや上陸しずらいから、連合軍と地上戦にはならなかった。けども、空襲で山は今のように木がなかったみたい。

空襲の跡が残る木

木を枯らすために、ベトナム戦争ではアメリカが枯葉剤を撒いたね。あんな感じで、木々で目隠しされているということが、攻撃側にとって恐怖なんでしょう。

戦時中の父島には、イギリスが作ったらしい竹トンボ缶詰めが海岸に落とされたらしい。拾って触ると爆発するという。

私の街、登戸の近くの陸軍登戸研究所では、戦時中にアメリカに対して、拾って触ると爆発する風船爆弾を送っていたね。同じね。

ベトナム戦争では、日本の技術?がベトナムで使われたみたい。日本の兵隊がベトナムで結婚して現地に残った人がいたらしい。そのため、父島の、岩影から敵を攻撃するパターンがベトナム戦争の戦い方で似てるんだって。

岩の下に穴が掘ってある。

左の大きな岩の下にくぼみを作って見張りをしていたらしい

その岩の下の道を下りて見上げたら、全然分からない。

岩を下から見上げると、くぼみは見えないので油断する、というスキーム

5、兵隊の思いだけでは戦争に勝てない

結局は父島に敵軍は上陸しなかったけども、その演習をさせられた人は、どう思ったでしょうね。
硫黄島が陥落してからなのか、その前からなのか、父島上空を連合軍が日本本土を空襲するために飛行機が通る。

そこを、父島から、敵機の最初の飛行機を撃つ。最初の敵機の破片が、後続の敵機に当たれば、日本本土へ到着するB29が減る、という戦法。弾の節約。

父島へは、戦局がかなり悪化してから島民を疎開させて軍隊配備したので、ろくな道具が揃ってなかったらしい。弾もひ弱なやつばっかりで、こんな装備でよく戦争しようと思ったな、というのが戦争マニアの共通意見だった。

板長さんの兄ちゃんも学徒出陣で徴兵され、乗るはずだった飛行機のプロペラが布的なものだったらしい。マジかよ。さすがに盛ってない??

敗戦時、敵軍に日本軍の弾を見せるのが恥ずかしくて隠したらしい。そのくらい、物資がないのに降参しないで国民が死にまくったんだね。切ないぜ。

戦時中、父島には、二等兵ではなく上等兵?が香川県や福島県から来たらしい。田んぼの知識は父島では使えず、畑の専門家が重宝されたみたい。インドかぼちゃをみんなで食べたんだって。

香川県の兵隊さんは足腰が丈夫だということで、交代で山をぐるりと見廻りしたんだって。怖かっただろうなぁ。

命が安かった。自分の妻子を護るために戦死し、戦地にいる夫のためにひたすら弾薬を造り、その後戦局悪化で、守りあいたかった子供は死んだ。

日本の技術はよかったみたいね。明治時代の砲台?をみたけど、頑丈で技術が素晴らしいらしい。知ったかぶりして、ほんとですねー、と言っといたけど、全然分からない。技術はあったが物資がないから負けたと。しかし、物資があっても勝機があっても戦争はよくない。

左は超ひ弱な戦車、右は明治の立派な砲台

6、皇民化された外国人兵士

戦時中、日本人にされた外国人も父島に徴兵?されてきたみたい。外国人専用のスペースがあり、居住区は分けて好きなように暮らせたみたい。父島の隊長の偉いところで、仕事やご飯は日本人と一緒にしたので、差別はなかったみたい。

皇民化により日本人化された方々の居住地。キレイな色にする自由もあった。

ただ、それは志願して来てくれた外国人のことで、嫌々来た外国人徴兵の人たちの居住区や仕事はかなりキツかったみたいね。可哀想ね。仕返しされる怖さから差別したんだろうけど、可哀想だよ。

やはり、戦争というものは、加害者として学ぶ方が気楽だね。

被害者としての戦争は、相手を恨んでしまう。加害者としての戦争は、申し訳なく辛く、自分のためにも他人のためにも2度と起こしてはならぬと思う。

7、昼ご飯

戦争遺跡ツアーでは、山頂で板長さんの持ってきてくれた弁当を食べた。見晴らしがいい。ガイドブックには載っていないようなビューポイント。ガイドなしでは来れないし。

板長さんから配給される弁当とお茶とライト
山頂の岩の上で休憩がてら食事。素晴らしい眺め

8、固有種と外来種

山には、外来種の木々が増えて純血の固有種が減るらしい。本島から連れてきて増えたノラネコも捕獲して、東京本島へ返すらしく、トラップがあった。本島から連れてきたヤギも外来種で、見つけ次第食べるようにしてるらしい。

明治時代前から、父島はどの国も欲しいから、江戸時代にあの山に神社をつくっておいた、だから父島は日本の領土になったんだって。へーそうなんだ。Wikipediaと違うね。

元々は日本人が住んでなかったという歴史について、どう思うんでしょうか。父島も、国益とかいうものに利用されている場所のひとつ。

それでも共生していくの。こうやって観光客を誘致して、舌打ちしながらも無知な旅行客の相手をする。島民同士の中に、個人情報という概念があるのかな。閉鎖された人間関係の中で、なんとかやっていかなくちゃならぬ。

父島の島民は、若い人が多く、3年移住すると分譲地が優先的にあてがわれるのか買えるのか、とにかく若い人に移住してもらいたいという村民の方向らしい。外来種でも、人ならよいの?

9、島国の暮らし方を考えた

日本は島国なんだけど、島国の中の島、という存在から経済的合理性、島民の生き方ということを考えることは有用であります。地産地消と言われているこの頃、離島から学ぶことは多いと思う。ここから、それぞれの街にフィットする生き方を選べばいい。というわけで、このツアー代金には経費性がある。

1日戦争遺跡ツアー、8000円なり。色んなことを考えて、とてもためになった。行ってよかったよ。1回でいい。

ツアー参加記念品。板長さんの直筆かと思われる。他にも小笠原コウモリの写真も


投稿者: 小野寺 美奈

税理士。相続診断士。FP。 川崎市・東京多摩地方を中心にした、地域密着・現場主義。 税務の記事はご自身で税法を確認されるか個別に有料相談に来てくださいね。