長崎の眼鏡橋・諫早眼鏡橋!

2026.5 長崎の眼鏡橋を2か所、見て来ました~。

・日本三名橋 長崎市の眼鏡橋

長崎市内には路面電車で「めがね橋」という駅がありまして。37番です。

長崎滞在時、少し時間があったので行ってみました!

連日の好天でサングラスしててもすっかり目が日焼けしたのか開かなくて(´;ω;`)ウッ…

よく分からないながらも、名所には行きたいので行ってみました。

ビューポイントが良くなかったな~。私のコンディションが最高でもなかったのでなんだけど、「なるほど~」と思いながら、

 

下に降りてめがね橋を撮ってみた。

反対側を見ると、あっちの橋からの眺めから撮影したら美しいメガネが見えたのかも?それと、川の上から撮るのが正解だったかな?どんまい、どんまい。

ギラギラの太陽の下、アイス買っている修学旅行生うらやましぃ~と思いつつ、眼鏡橋を通行しました。

すぐ新地中華街方面へ戻りました。路面電車が混んでるし、道も微妙に不安だし、(´;ω;`)ウッ…

アーケード商店街の3コインズでサングラス1100円を買って中華街を通って終わった。。。

後から調べてみたら、

「日本三大名橋に数えられる現存最古のアーチ型石橋の一つ。国指定重要文化財」だそうなんですよ!エーッそうなんだ。”中学生のアイスうらやましぃ”の感想で通った眼鏡橋・・・・。予習って大事ね。

長崎市公式観光サイトより→https://www.at-nagasaki.jp/spot/95

東京の「日本橋」、山口の「錦帯橋」と並び日本三名橋に数えられます。
1982年の長崎大水害で一部崩壊しましたが翌年復元され、国の重要文化財に指定されています。

長崎市のこちらの眼鏡橋、皇居の二重橋のモデルになったそうです!ライトアップやイベント時の写真イイ♡

・諫早 眼鏡橋

翌日は諫早に行きまして、諫早にもめがね橋があると知りまして、時間に余裕がありそうなので寄ってみました。

 

県営バスで「諫早公園前」を降りてすぐの諫早公園の木陰、苔むした諫早の眼鏡橋。

 

諫早眼鏡橋物語 「いさはやのめがね橋、行き戻りすればおもしろかなり」

永久不壊の石橋を、願い事を念じながら渡ってみてください。あなたの願いが叶うかも・・・・

とあります。ラブロマンス的な要素もあったみたいで。キャー(〃▽〃)ポッ

(それを知らずにひとりぼっちのおばさんがワクワクと通りました)

諫早は眼鏡橋の推しが強いですね!納得の観光箇所でした。うん。

諫早駅を降りたら眼鏡橋のモニュメントあるし

 

諫早駅の観光案内所の記念スタンプにもあるし、諫早郵便局の風景印も眼鏡橋だし

 

諫早図書館にも諫早眼鏡橋のプチ模型あったし。

諫早郵便局前のマンホールも眼鏡橋だし!

分かる!諫早眼鏡橋、イイもんね!(見つけると嬉しい)

 

・諫早眼鏡橋の歴史 水害も

諫早市の諫早眼鏡橋は、現地では看板が多くていいのに、諫早市のサイトページは分かりにくくて、看板の内容を書いておいてもらいたいわね。

諫早市HPより 諫早市の歴史 江戸時代 → https://www.city.isahaya.nagasaki.jp/soshiki/51/1302.html

”天保10(1839)年に架橋された眼鏡橋は、永久に流れることのない橋を、との領民の悲願とアーチ式の石橋という高度な技術力とが結実して完成にいたりました。”

とあります。

1839年に本明川の上に作られた諫早眼鏡橋ですが、1957年(昭和32年)の諫早大水害では丈夫すぎて川の流れを止めてしまい、犠牲者630人もの大災害になってしまったそう。

ミツカン 水の文化センターHPより引用https://www.mizu.gr.jp/kikanshi/no47/05.html

諫早にも眼鏡橋があって非常に堅牢だったために、1957年(昭和32)7月25日から28日にかけて降った豪雨のときに、橋桁に流木が引っ掛かって川がダムアップし、多数の死者を出す大災害となりました。

恨みの石橋を爆破せよという声もあった中で、諫早市長が文化財としての意義を認め、当時の文部省に掛け合って、重要文化財の指定を取り移設保存したのですが、それを担当したのが山口さんです。

多摩川の狛江水害(1974年 昭和49年)を思い出しちゃうね。。。狛江水害は橋が川を堰き止めてしまったわけじゃないみたいだけど。

それで、諫早眼鏡橋に話を戻しますが、1959年~1960年にかけて現在の諫早公園内に移されたそうです。

諫早公園前バス停は本明川を橋で渡ってすぐのところにあるけれど、その橋が諫早眼鏡橋ではなく、もう少し下流にあったようです。

近くには、ミニ諫早眼鏡橋もあります♡(模型は見るだけで渡れないです)

ミニ 諫早眼鏡橋
・諫早公園物語 山城

諫早公園の山は、山城だったそうで、戦国時代に伊佐早地方を初めて統一した西郷尚善が山に城を築いたそうです。

高城(たかしろ?)と呼ばれ、別名、亀城(かめじょう)とも呼ばれ。

その後、1587年(天正15年)に豊臣秀吉の命令に従わなかった4代目西郷信尚は龍造寺家晴(初代諫早家)に攻められて高城を追い出されてしまいました。

その後、江戸時代に一国一城令が出されて高城は姿を消したそうです。

1981年の向田邦子プロデュース作品ドラマ「わが愛の城ー落城記よりー」(原作は諫早市出身の野呂邦暢さん)の舞台ともなった山城だそうです。

・諫早 小野用水

近くには、疏水100選の「小野用水」がありまして、看板もありました。

小野用水は本明川の山下渕から市街地を通って、半造川の底井樋(そこいび)を通って小野平野に流れています、とあります。

疏水百選の諫早の小野用水。半造川をくぐった底井樋を通って小野平野へ。

疏水!郡山の安積疏水で学んだのでした!

諫早でも、1699年の水害&干ばつの犠牲者追悼のために富川というところに五百羅漢が刻まれていることを知りました。知識が増えると、面白いわ~。

投稿者: 小野寺 美奈

税理士。農業経営アドバイザー試験合格者。認定経営革新等支援機関。 川崎市・東京多摩地方を中心にした、地域密着・現場主義。 税務の記事はご自身で税法を確認されるか個別に有料相談に来てくださいね。