2026.5.15(5.25作成) 長崎県の諫早市美術・歴史館へ行ってきました!200円。
長崎駅から新幹線なら1駅で諫早駅。快速で30分です。
諫早の歴史、おもしろかったです!干拓しか知らなかったけれど、諫早をたくさん知れてよかった♡
まとめと感想
① 現在は長崎県の最西部にある諫早市ですが、江戸時代の諫早は佐賀藩であり、佐賀県だった時代もあります。
② 諫早は、三方を湾に囲まれ恵まれた地形ながら、農業用水の確保(底井樋)、水害の歴史もありました。干拓は昔からしてました!という主張もありました。
ふと、秋田県の八郎潟の起工式が昭和33年(食糧不足だから八郎潟を干拓しようと話題に上がったのが昭和27年)だから、諫早湾の干拓もその時代かと思っていましたが、諫早湾の干拓事業は平成元年に起工でした!そんな最近だったんだな!
③ 江戸時代は長崎に外国船が来て、諫早にも新たな技術や知識が入るメリットの一方、開港前後には外国船・外国人の警備で負担が大きかったようです。
長崎にほど近い、諫早家も長崎警備に駆り出されました。
港の街、横浜もそうだったのよね~。東京(神奈川の時代もあり)の町田までにも外国人が来て農民兵として対応したと学んだことを思い出しました。
開国か、攘夷か。最近の関心ごとでもあります。。。
歴史を知って、傾向と対策をしよう!
諫早市美術・歴史館
諫早駅からバスで眼鏡橋を観光して、歩いて数分のところに、諫早市美術・歴史館があります~。
島原鉄道の本諫早駅からも近いです。(島原鉄道は本数が少ない)駐車場もありました。休憩所は無かった気がするので、体制たてなおし需要は諫早図書館のロビーの方がいいかも。
1階は常設展で諫早市の歴史や焼き物などが、ちょうどよいこじんまりであります。
1階の常設展の入場料200円ですが、2階の特別展の入場者は1階の常設展は無料で入れるみたいですよ。特別展は美術に特化しているみたいで、私は時間の関係で入らなかったけれど、諫早市は美術も有名だそうです。
諫早の領主
現在の諫早市は、かつては伊佐早という地名で、西郷さんたちが4代に亘り100年ほど統治していた。
豊臣秀吉の島津攻略(九州平定?)に参加しなかった西郷さんは高城を出ていけと攻められて、肥前佐賀藩の重臣の龍造寺さん(初代は家晴さん)が統治するようになった(九州平定で領地がなくなったんだけど!と秀吉に言いつけに行ったみたいです)。
家晴さんの次男・直孝さんが後継ぎとして2代目。直孝さんが地名とご自分の名字を「諫早」に改名した(1619年)。(長男さんは父の家晴さんとケンカした?)
佐賀藩の諫早領だったそうなのです。佐賀藩の鍋島さんと諫早家は親戚同然だったとか。(龍造寺高房さんが無くなり、本家が断絶してしまったそうです。あんまり分からないけど)
諫早は明治4年の廃藩置県で佐賀県→伊万里県→長崎県になりました。
長崎警備
寛永18年(1641)に福岡藩、翌年は佐賀藩が江戸幕府より長崎警備を命じられました。
大村藩・平戸藩も無関係ではなかったみたいです。
諫早にも警備当番が回ってきます・・・・。
外国船入港の情報はまず、現在の長崎市五島町にあった井浅羽や蔵屋敷に報告、狼煙や早走り、早鐘で諫早の留守居役に伝達され~とあります。
外国船、主にオランダ船・唐船が入港時期に増員。それ以外の異国船が開港を求めて長崎入港の頻度がたかまり~とあります。
警備箇所が増えてしまい、警備の費用がかさみ、警備人材(諫早家臣)不足に。家臣の次男三男を独立(?)させて移住させたりしたみたいです。(゚д゚)!
江戸幕府が各地で開港し、長崎では出島・唐人屋敷だけに居留していた外国人がある程度自由に行動できるようになったので、諫早領内に外国人が無許可で来たり測量するなどしたので、更に警備に人員がさかれていった、とあります。
浦手(橘湾沿岸)は、1793年(寛政5年)、ロシア船来航に備えて、現在の諫早市飯盛町に番船を配置したのがきっかけだそうです。
佐賀藩諫早領は、左側に大村湾、右側に有明海(諫早湾)、下に橘湾、と自然に囲まれた地形です。きれいだよゥ~。
諫早の眼鏡橋の架橋資金
諫早の眼鏡橋架橋は、諫早家が佐賀藩に願い出ました。理由は、①長崎警備当番の年に佐賀~長崎を通るのに橋があれば便利よね?②本明川の増水で道が壊れて道具等が流されたら佐賀藩に不興だよね?
の2つです。
だから、佐賀藩が全額お金出して!普請すべきだ!と諫早家は佐賀藩に言いました。
が。1835年に佐賀城の火災で本丸再建で佐賀藩にお金がないことを勘案し、諫早家独自で架橋をやってみました。
石工の見積もり銀30貫目のうち、銀10貫目しか諫早家で用意できず、残りの銀20貫目を佐賀藩に補助を願い出て、架橋許可がおりました。(それで、補助はもらえたのかしらん?)
こうして、諫早家にとって長崎警備に並ぶ懸案事項だった増水時の本明川の通行の懸念解消になりました。よかったわね~。
ところが、諫早大水害(1957)で、眼鏡橋が頑丈過ぎて水害をひどくさせたとして眼鏡橋の爆破解体の話が出る!保存の声には、罹災者の復興も進まないのに眼鏡橋の保存ですか!と反対の声もあり、今に至ります。
諫早市の私が注目した歴史年表
1474 西郷尚善が伊佐早地域を統一、高城(たかしろ)を築城
1549 キリスト教伝来(フランシスコ・ザビエル)
1587 豊臣秀吉の九州平定、西郷氏所領没収、龍造寺家晴に与えられ、西郷と龍造寺が合戦
1590 豊臣秀吉が龍造寺家晴に知行宛行状。山崎教清、川内町の干拓を行う
1647 諫早家、長崎警備に初めて出兵(1643年に長崎警備を佐賀藩と福岡藩が1年交代で)
1699 元禄の大洪水(死者487名)
1709 大雄寺の五百羅漢完成(富川町)
1722 新田開発奨励
1750 諫早騒動(一揆)がおこる(佐賀のお家騒動に諫早家が関与した疑惑だとか?)
1783(天明3年)好古館開校(こうこかん)(郷校。現在の諫早市役所あたり)
1813(文化10年)青木弥惣右衛門(やそうえもん)ら、半造川に底井樋(そこいび)を設置
1839(天保10年)眼鏡橋、本明川に架橋。
1871(明治4年)廃藩置県で最終的に長崎県に編入。
1874(明治7年)佐賀の乱
1877(明治10年)西南戦争へ出兵
1898(明治31年)九州鉄道長崎線 開通(現在の大村線)
1911(明治44年)島原鉄道 諫早~愛野間開通 本諫早駅開業(2年後に諫早~南島原間開通)
1934(昭和9年)有明線開通(現在の長崎本線)
1957(昭和32年)諫早大水害(死者・行方不明者630名)
1982(昭和57年)長崎大水害(飯盛町で死者15名)
1989(平成1年)諫早湾干拓事業起工
2005(平成17年)一市五町が合併し、新諫早市誕生
2008(平成20年)平成の干拓地営農開始



